Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『familie』の歌詞とその意味について考察していきます。
この曲『familie』は、家族や愛、成長、そして人生の旅路を描いた楽曲。
時代の流れの中で価値観が変化し、迷いや葛藤を抱えながらも、人は愛を知り、大切なものを守り続ける。
そして、愛や思い出は形を変えながら受け継がれ、やがて新たな物語が始まる。
そんな壮大なテーマが込められた楽曲になります。
本記事では、歌詞に込められたメッセージをフレーズごとに丁寧に読み解き、楽曲全体を通じて伝わる深い意味を探っていくので、ぜひ最後までご覧ください!
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
Mrs. GREEN APPLE『familie』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:デジタルシングル『familie』
発売日:2024年8月9日(金)
君に見せたい
景色がある
僕の「好き」を
どう思ってくれるかな
君にあげたい
全てがある
言い過ぎな気もするけど
だから
どうか どうか
その瞬きの側に居させて
時代の車輪に
僕らが燃料となり
乗せてゆく
どこまでが
ただ、愛と呼べんだろう
僕に運ばれる街
世界は知るんだろう
どこからか
また、始まるはヒストリー
感触は褪せてしまうけど
確かなメモリアル
温かな大事なモノ
唯一のファミーリエ
僕に見せたい
景色がある
いつか自分を
認めてあげられるかな
いつの間にか
全てじゃなく
譲れないところが増えてゆく
でもね
どうかしてんじゃないかと思う
恋をする日も来る
時代の車輪に
いつしか一部となり
呑まれてゆく
これからだ
さぁ、人になりましょう
終わらない旅路に膝をつく
たらい回しってやつでしょう
心にも無いような
言葉でいがみ合えど
解けない魔法と現実
いつかのメモリアル
ささやかで慣れがある場所
ほんとはユーフォリア
あの日の後部座席の窓から
見えた
見えた
どこまでが
ただ、愛と呼べんだろう
風に運ばれる度に
ひとりを知るんだろうここまでが
ただ、序章と呼べんだろう
終わらせ方は僕次第
泣けるエンドをどこからか
また、呼ばれるは僕と君
感情は忘れないでしょ?
確かなメモリアル
心が帰れる場所
愛しのファミーリエ
『familie』歌詞の意味&楽曲背景
この曲『familie』は、人生の旅路、家族や愛の形、自己の成長といったテーマを含む壮大な楽曲。
タイトルの「familie(ファミーリエ)」とは、ドイツ語で「家族」を意味しますが、日本語の「家族」という言葉よりも広義で、血縁関係に限らず、大切な人とのつながり全般を指すようなニュアンスがあります。
楽曲構成は、「家族という枠組み」から始まり、「成長」「自己受容」「人生の終焉」へと移り変わる構成になっており、大森くんらしい哲学的な内容を持った曲だなと感じました。
1番では、家族や大切な人との愛を求める純粋な気持ち。
2番では、自己成長と世代の移り変わりを受け入れる心の変化。
ラスサビでは、愛と孤独の両面を受け止めながら、自ら人生のエンディングを描いていく覚悟と、全体を通して、愛は時とともに形を変え、受け継がれ、新しい歴史を紡いでいくのだ、ということが表現されている楽曲だと感じました。
公式MVの紹介
YouTubeにて公開されている公式MVがこちら。
ここからはフレーズごとに歌詞考察をしていきます。
1番:歌詞の意味
まずは冒頭1Aメロの歌詞。
君に見せたい
景色がある
僕の「好き」を
どう思ってくれるかな
冒頭部分では、主人公が「君」に対して「見せたい景色」があると語りかけますが、「景色」という言葉は、単に視覚的な風景ではなく、「自分が大切に思う世界観や価値観」 を指していると思われます。
そして、この「君」も、聴く人によってさまざまに解釈できるでしょう。
家族なら、自分の子どもや親に対して、見せたい未来や世界。恋人なら、愛する人と共有したい大切な時間や価値観。未来の自分なら、自分自身が成長し、いつか見せてあげたい理想の人生の景色のことかもしれません。
続く、「僕の『好き』をどう思ってくれるかな」というフレーズは、そんな自己表現に対する不安と期待を表しているのではないでしょうか。
これは「自分が愛するものを、君にも愛してもらえるだろうか」という気持ちの表れで、承認欲求や、愛を分かち合いたいという願いを感じさせます。
続く1番A’メロの歌詞。
君にあげたい
全てがある
言い過ぎな気もするけど
続けて「君」に対して「全てをあげたい」という表現が使われますが、これは無償の愛を表すフレーズとして捉えられ、特に親が子に抱く気持ちと通じる部分があると思います。
ただ、どんなものでも与えてあげたい、支えてあげたいと思う一方で、「言い過ぎな気もするけど」と、すべてを与えることはできないかもしれない、という現実的な気づきも同時に歌われているのではないでしょうか。
この一文は、人間の愛の限界を示しているとも捉えられそうです。どれだけ相手を思っても、すべてを与えられるわけではなく、すべてを受け入れてもらえるとも限らない。
それでも「愛したい」という気持ちがひしひしと感じられます。
そしてBメロの歌詞が続きます。
だから
どうか どうか
その瞬きの側に居させて
時代の車輪に
僕らが燃料となり
乗せてゆく
冒頭部分で「どうか、どうか」と繰り返し歌うことで、切実な願いであることが強調されているように聴こえます。
続く「瞬きの側に居させて」という表現は非常に詩的ですが、「一瞬の輝き」「かけがえのない時間」を象徴しているのではないでしょうか。
「君」の人生の中で、一瞬でもそばにいられるならそれだけでいいのだ、という謙虚な願いとも取ることができますし、人生は瞬く間に過ぎ去ってしまうのだ、ということを示唆しているフレーズでもあるように感じます。
そして「時代の車輪」とは、時の流れや歴史を表していると考えられます。「僕らが燃料となる」という表現は、自分たちの生き方が、未来へ影響を与えるのだ、ということを意味しているのではないでしょうか。
私たちは、ただ時間の流れに乗せられるのではなく、自らがその時間を動かし、歴史の一部となっていくのだ、という考え方が込められているように感じました。
1番サビの歌詞前半部分がこちら。
どこまでが
ただ、愛と呼べんだろう
僕に運ばれる街
世界は知るんだろう
このパートでは、「愛の定義」 についての深い問いかけがなされています。
「どこまでが ただ、愛と呼べんだろう」というフレーズでは、「愛」とはどこまでを指すのか、どのような行為や感情が「愛」として成立するのか、という根源的な疑問を投げかけています。
愛とは、単なる感情なのか?それとも、行動として表れるものなのか?
「家族への愛」「恋人への愛」「友情」「自己愛」など、愛には様々な形があります。
無償の愛もあれば、条件付きの愛もある。言葉にしなくても伝わる愛もあれば、言葉にしなければ伝わらない愛もある。そして、人によって愛の感じ方や定義も異なるはずです。
「愛」という抽象的な概念を問い直すことで、意図的にリスナーに考えさせる余地を持たせているのだと感じました。
次の「僕に運ばれる街 世界は知るんだろう」は、自分自身の成長とともに、世界が広がっていく様子を描いているのではないでしょうか。
「僕に運ばれる街」とは、主人公が進む先にある新しい環境や経験のことであり、「世界は知るんだろう」とは、自分が経験することで、世界の広がりや新たな価値観に気づくということなのだと思いました。
これは「愛を知ること=世界を知ること」だ、というメッセージとも受け取れそうです。
人は、愛を経験することで、人間関係や社会の成り立ちを学び、世界への理解が深まっていく。このパートには、そうした哲学的な視点が込められているのではないでしょうか。
そして1番サビ後半の歌詞。
どこからか
また、始まるはヒストリー
感触は褪せてしまうけど
確かなメモリアル
温かな大事なモノ
唯一のファミーリエ
ここでは「愛は時間とともに変化しながらも、受け継がれていく」ということがテーマとして歌われているように思います。
「どこからか また、始まるはヒストリー」と「感触は褪せてしまうけど 確かなメモリアル」という2つのフレーズが、対になっている点が非常に興味深いです。
「ヒストリー(歴史)」とは、個人の人生だけでなく、家族や社会全体に受け継がれていく物語を指しているのではないでしょうか。
そして同時に「愛」も、時代や環境によって形を変えながらも、新たな世代へと受け継がれていくということだと思います。
しかし、その中で「感触は褪せてしまうけど」という部分が出てきますが、これは、「愛や思い出は時間が経つと、肌で感じた感触が薄れてしまう」という現実を示唆しているのかもしれません。
例えば、幼い頃に親に抱かれた温もりは、大人になれば記憶の奥底に沈んでしまいますし、かつて大切だった人との思い出も、時間が経つと鮮明ではなくなってしまいます。
しかし、それでも「確かなメモリアル」と続くことで、「記憶は形を変えて残り続ける」ということを伝えているのではないでしょうか。たとえ過去の出来事の感触自体が薄れたとしても、その影響は確かに自分の中に刻まれているのです。
そして最後の「温かな大事なモノ 唯一のファミーリエ」で、楽曲のテーマが集約されます。
冒頭で説明したように、「ファミーリエ(Familie)」とは、ドイツ語で「家族」を意味しますが、これは血縁に限らず、自分にとっての大切な人たち全てを指した言葉。
時間が経つと、記憶の感触は薄れてしまうかもしれない。しかし、愛が生み出した「温かな大事なモノ」は、確かに心の中に残る。
「唯一のファミーリエ」という言葉が印象的なのは、「唯一」という強調があることです。
これは、「どんなに時が流れても、自分にとっての『家族』はかけがえのないものだ」という思いを表しているのだと思います。
2番:歌詞の意味
2番Aメロの歌詞。
僕に見せたい
景色がある
いつか自分を
認めてあげられるかな
2番では、1番Aメロで歌われた「君に見せたい」というフレーズから「僕に見せたい」に変化しています。この違いは、視点の変化を表現していて、「他者との関係」から「自己の成長」にフォーカスが移っています。
「いつか自分を認めてあげられるかな」というフレーズでは、自己受容の難しさを表現しているのではないでしょうか。
愛を知り、人を愛することで、自分自身もまた「愛される存在」になれるのか?という問いかけを自分自身に投げかけているのだと思います。
続く2番A’メロの歌詞。
いつの間にか
全てじゃなく
譲れないところが増えてゆく
1番A’メロでは「君にすべてをあげたい」と歌っていましたが、ここでは「全てじゃなく」と変化しています。
これは、人が成長し、価値観が固まるにつれ、「何でも受け入れる」のではなく、「譲れないものが増えていく」ことを示しているのではないでしょうか。
その後Bメロの歌詞が続きます。
でもね
どうかしてんじゃないかと思う
恋をする日も来る
時代の車輪に
いつしか一部となり
呑まれてゆく
このフレーズでは、「どうかしてんじゃないかと思う」と、自分の変化に驚いている様子が描かれています。「恋をする日も来る」というのは、幼かった自分が、やがて誰かを愛し、人生の新しいステージへ進むことを意味しているのではないでしょうか。
かつては親に守られていた子どもが、大人になり、自分もまた「愛する側」になることへの気づき。「恋をする日も来る」という未来形の表現によって、まだ完全には実感できていないけれど、確実にその時は訪れるのだろうという予感、が感じられます。
幼い頃は「愛されること」が当たり前でしたが、成長するにつれて「愛すること」へと視点が移っていく。その過程で感じる戸惑いや期待が、この短いフレーズの中に詰まっているように感じました。
そして1番Bメロでは「時代の車輪に燃料となる」と歌われた部分が、2番では「いつしか一部となり 呑まれてゆく」に変化しています。これは、人生の流れに対する考え方の変化を表現しているのではないでしょうか。
若い頃は「自分が世界を変える」と思っていたものの、成長するにつれて「自分もまた時代の流れの一部である」と気づく。「呑まれてゆく」という言葉からは、無常観や避けられない人生の流れを受け入れるニュアンスが感じられます。
これは、「親から子へ」「愛される側から愛する側へ」という、世代交代の象徴とも言えそうです。
そして2番サビ前半部分。
これからだ
さぁ、人になりましょう
終わらない旅路に膝をつく
たらい回しってやつでしょう
冒頭の「これからだ さぁ、人になりましょう」という表現がとても象徴的です。
この「人になる」というのは、「社会の中での役割を持つこと」「大人としての責任を担うこと」を意味しているのではないでしょうか。
「子ども」から「大人」へと成長すること。「愛される側」から「愛する側」へと変化すること。「自分のために生きる」から「誰かのために生きる」へと移行することなどが挙げられます。
しかし、続く「終わらない旅路に膝をつく たらい回しってやつでしょう」というフレーズでは、人生の苦しさや迷いも表現されています。「たらい回し」という言葉を使うことで、社会の中で翻弄される様子が、よりリアルに描かれているように感じました。
夢や理想を持っていても、現実はそう簡単に進まない。責任を背負い、期待に応えようとしながらも、迷いながら生きていく。
この一節では、そんな「大人になることのリアル」を描いた部分なのではないでしょうか。
2番サビ後半の歌詞がこちら。
心にも無いような
言葉でいがみ合えど
解けない魔法と現実
いつかのメモリアル
ささやかで慣れがある場所
ほんとはユーフォリア
このパートでは、「すれ違い」や「衝突」がテーマになっているように感じます。
「心にも無いような言葉でいがみ合えど」とあるように、人は時に大切な人を傷つける言葉を放ってしまう。それでも、家族や愛する人との絆は「解けない魔法」として続いていく。
そんなことを表現しているのではないでしょうか。
そして「魔法と現実」という対比も面白いなと思いました。
魔法とは、愛や家族の絆や決して消えない感情を表していて、現実とは、すれ違いや衝突、成長とともに避けられない変化、を示しているのだと捉えられそうです。
この2つは決して相反するものではなく、共存している。どれだけ衝突があっても、「確かなメモリアル(思い出)」として、愛は残り続けるのだというメッセージが込められているのだと思います。
その後Cメロの歌詞が続きます。
あの日の後部座席の窓から
見えた
見えた
このパートでは、幼少期の記憶を象徴しているように思われます。「後部座席の窓から見えた風景」は、家族と過ごした時間の象徴なのではないでしょうか。
幼い頃は親に連れられて車に乗っていたけれど、やがて自分も運転する立場になる。
つまり、「愛される側」から「愛する側」へと視点が変わることを、視覚的に表現しているのかもしれません。
最後はラスサビのこの歌詞。
どこまでが
ただ、愛と呼べんだろう
風に運ばれる度に
ひとりを知るんだろうここまでが
ただ、序章と呼べんだろう
終わらせ方は僕次第
泣けるエンドをどこからか
また、呼ばれるは僕と君
感情は忘れないでしょ?
確かなメモリアル
心が帰れる場所
愛しのファミーリエ
1番サビでは「僕に運ばれる街」だったのが、ここでは「風に運ばれる」と変化しています。これは、「自分の力で進む」のではなく、「時の流れに乗る」ことを表しているのではないでしょうか。
「ひとりを知るんだろう」という表現も印象的です。
成長して大人になり、やがては「ひとり」になる。しかし、それは「孤独」ではなく、「自立」として描かれているのだと思います。
そして、人生はまだ「序章」に過ぎず、「終わらせ方も自分次第」。つまり、どんな結末を迎えるかは、自分次第で決まるということ。
「泣けるエンドを」という表現には、悔いのない人生を送りたいという願いが込められているのではないでしょうか。
人生は思い通りにはならないかもしれない。
それでも、「最後は感動的なエンディングを迎えたい」という強い意志を感じさせます。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『familie』を聴いてみて下さい!
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