Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『ダーリン』の歌詞とその意味について考察していきます。
この曲は15th配信限定シングルとしてリリースされ、NHK総合『Mrs. GREEN APPLE 18祭』のテーマソングとして制作されました。
孤独や葛藤を抱える中で、愛や絆を求めつつ自己を受け入れ、他者との比較から解放されるまでの心の旅が描かれています。
本記事では、歌詞に込められたメッセージをフレーズごとに丁寧に読み解き、楽曲全体を通じて伝わる深い意味を探っていくので、ぜひ最後までご覧ください!
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
Mrs. GREEN APPLE『ダーリン』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:15th配信限定シングル『ダーリン』
発売日:2025年1月20日(月)
負けない何かが欲しい
“私”だけの愛が欲しい
そうすればきっと僕らは
比べないで居れる
あれこれ理由が欲しい
“私”だけ独りのような
寂しい夜には
何に抱きつけばいい?
羨ましい
ただ虚しい
嫌われたくもないけど
自分を好きで居たい
darling 僕の背中に乗って泳いでて
やるせない日々の海はとても深いから
「誰かの私でありたかった」
勘違いしちゃうから
ひとりにしないでよね。
信じれる何かが欲しい
解けない絆が欲しい
そうすればきっと僕らは
呆れないで居られる
大事にしていてもいい?
強がりが崩れる夜は
体丸めて
布団で小さくなってる
羨ましい
ただ虚しい
自分で選んだ道でも
たまに振り返ってしまう
darling 私の腕の中で休んでて
悲しくて堪らない 人はとても弱いから
「誰かの私でありたかった」
彷徨ってしまうから
ひとりにしないでよね。
限りある世の中のせいで狂ってる
果てしなく続く時間に燻ってる
みんなと同じだからって
僕の 私の
ワダカマリが楽になるわけじゃない
darling 本当の音を聴いて
やるせない日々の膿は出切らないけど
ねぇ 私の私で居てもいいの?
あの子にはなれないし
なる必要も無いから
『ダーリン』歌詞の意味&楽曲背景
この曲『ダーリン』は、「自己肯定感の揺らぎ」と「他者との比較からの解放」をテーマに、人間の弱さや孤独、葛藤が繊細に描かれた一曲。
孤独を恐れながらも、愛や絆を求め、最終的に「私の私で居てもいいの?」という問いかけを通じて、自己を受け入れるまでの過程が表現されています。
他者に寄り添い支え合う関係性や、弱さを認めることで得られる強さが、リスナーに共感と救いを与える楽曲です。
公式MVの紹介
YouTubeにて公開されている公式MVがこちら。
ここからはフレーズごとに歌詞考察をしていきます。
1番:歌詞の意味
まずは1番Aメロの歌詞。
負けない何かが欲しい
“私”だけの愛が欲しい
そうすればきっと僕らは
比べないで居れる
このパートでは、自分の中に、他者にはない「特別」なものを持ちたいという、切実な願いが表現されているようです。
「負けない何か」というフレーズは、競争社会において他者との比較で苦しむ現代人の心情を強く反映しているように感じます。
また、「“私”だけの愛」という表現は、恋愛関係に限らず、誰かにとって唯一無二の存在になりたいという、人間の根本的な欲求を象徴しているようです。
自分だけの価値を見出せたなら、「比べないで居れる」という安心感を得られるはず、という切実な願いが込められているのではないでしょうか。
1番Aメロ後半の歌詞。
あれこれ理由が欲しい
“私”だけ独りのような
寂しい夜には
何に抱きつけばいい?
孤独を感じたときに頼れるものがなく、心の中の空虚さを埋められないもどかしさが表現されているパート。
「抱きつく」という行為は、物理的な安心感だけでなく、精神的な支えを求める姿勢も含まれているのではないでしょうか。
この問いかけは、現代社会で多くの人が感じているであろう「孤独の夜」に共感を呼び起こします。
例外なく誰にでも訪れる孤独な瞬間を描きながら、救いを求める普遍的な感情を浮き彫りにしていると言えるでしょう。
続くBメロの歌詞。
羨ましい
ただ虚しい
嫌われたくもないけど
自分を好きで居たい
他人への羨望と、それが引き起こす自己嫌悪や虚しさ。「羨ましい ただ虚しい」は短いながらも、とても深い心理描写が詰まっていそうです。
SNSやメディアを通じて、他人の成功や幸せが可視化される時代において、この感情は特に共感を呼ぶのではないでしょうか。
「羨ましい」という感情は、単なる憧れにとどまらず、自分の未熟さや欠点を痛感させ、結果として「虚しさ」に変わることが多いように感じます。
他人からの評価と自分自身を愛すること、この両立の難しさが端的に描かれていて、共感の嵐でした…。
他人に好かれることを優先しすぎると、自分らしさを失いかねない一方で、自己中心的になりすぎれば孤立するという矛盾。常に他人と自己の間で揺れ動く現代人の葛藤が的確に言語化されていて、心震えました。
そして1番サビの歌詞がこちら。
darling 僕の背中に乗って泳いでて
やるせない日々の海はとても深いから
「誰かの私でありたかった」
勘違いしちゃうから
ひとりにしないでよね。
「背中に乗って」という表現には、相手を支えたいという優しさだけでなく、自分の存在意義を見つけたいという潜在的な願望も含まれているように感じました。
誰かを支えることで、自分が相手にとって重要な存在であると実感したいのではないでしょうか。
また、「日々の海」という比喩は、日常の苦しみや不安がどれほど深く広がっているかを示していそうです。その中を泳ぎ切るために、相手を助けたいという気持ちが強く伝わってきます。
そして「誰かの私でありたかった」という言葉からは、他者に必要とされたい、特別でありたいという、普遍的な願望がストレートに伝わってきました。
しかし、同時にこの願望が「勘違い」である可能性を自覚している点に、深い悲しみと自己矛盾が見え隠れしていますよね。これは、誰しもが抱える「自分の存在意義を他者の中に見出そうとする危うさ」を浮き彫りにしているのではないでしょうか。
2番:歌詞の意味
2番Aメロの歌詞。
信じれる何かが欲しい
解けない絆が欲しい
そうすればきっと僕らは
呆れないで居られる
1番Aメロで語られた「負けない何か」「愛」に加えて、2番では「信じること」や「絆」というキーワードが登場します。
ここでは、より深い関係性や、単なる感情的な繋がりを超えた「信頼」に焦点が当てられているようです。
社会的な不安や個人的な裏切りなど、さまざまな「苦」を経験する中で、揺るぎない繋がりを求めようとする主人公の姿勢が切実で、心にグッときます。
2番Aメロ後半の歌詞。
大事にしていてもいい?
強がりが崩れる夜は
体丸めて
布団で小さくなってる
「布団で小さくなってる」とは、夜の孤独や弱さを具体的に描いた表現だと思います。
布団の中で丸くなるという姿は、物理的に自分を守ろうとする防御反応とも受け取れますし、精神的な「逃避」の象徴でもありますよね。
この描写を通して、人間が感じる孤独のリアリティが鮮明に浮かび上がっています。
続くBメロの歌詞。
羨ましい
ただ虚しい
自分で選んだ道でも
たまに振り返ってしまう
「自分で選んだ道でも たまに振り返ってしまう」という言葉。これは、自己決定であっても、その選択が正しかったのかどうか、不安になる瞬間が訪れるという普遍的な心理を描写したもの。
選んだ道に後悔はなくとも、振り返ることで、過去の選択肢や可能性に思いを馳せる人間らしい心の動きを感じ取ることができますよね。
こんな経験は誰もが1度は経験したことがあるのではないでしょうか。ふとした瞬間に湧き上がってくる感情が、美しく、そして儚く描かれています。
そして2番サビの歌詞がこちら。
darling 私の腕の中で休んでて
悲しくて堪らない 人はとても弱いから
「誰かの私でありたかった」
彷徨ってしまうから
ひとりにしないでよね。
1番サビでは「僕の背中に乗って泳いでて」という相手を支える側の視点だったのに対し、2番では「私の腕の中で休んでて」と、今度は相手を受け入れる側の視点に変わっています。
この変化は、「支えたい」という気持ちだけでなく、「お互いに支え合う」という関係性を求めていることを示しているのではないでしょうか。単なる依存ではなく、互いに寄り添い、助け合う姿が描かれているのだと思います。
続く「誰かの私でありたかった」「彷徨ってしまうから」というフレーズからは、自分の価値を他者の中に見出そうとする危うさと、それによって自己を見失ってしまう苦しみが伝わってきました。
「誰かのために生きたい」という願望には、肯定的な側面もありますが、それに囚われすぎると自分自身を見失うことになるというジレンマが描かれているのではないでしょうか。
そして、サビの最後で繰り返される「ひとりにしないでよね。」のフレーズからは、孤独への恐怖と強い依存心も伝わってきます。同時に、この一言には、他者に対する切実な訴えと、自己の中で孤独を克服する力を得たいという希望も隠されているように思いました。
その後Cメロの歌詞が続きます。
限りある世の中のせいで狂ってる
果てしなく続く時間に燻ってる
みんなと同じだからって
僕の 私の
ワダカマリが楽になるわけじゃない
ここでは、人生の有限性が人々に与えるプレッシャーや焦りを強調しています。
「限りある」ということは、時間も人間関係も全てが一時的であることを意味していて、それが人々を不安定な精神状態に追い込む原因になっていると考えられます。
一方で、「果てしなく続く時間」という表現では、人生が終わりの見えない退屈さや虚無感をもたらすということも描いています。
この対照的な描写は、「限りある」と「果てしない」という人生の二面性に苦しむ人間の姿を鮮明に表していますよね。これにより、世の中の理不尽さや矛盾に対する疑問がより深く掘り下げられている。そう感じました。
他者と同じように見えても、それぞれが抱える「ワダカマリ」(しこりや葛藤)は個別であり、それを癒すには個人としての向き合い方が必要であることを示唆しています。
ここには、社会的な同調圧力への反発と、自己を認めることの重要性が込められていると言えそうです。
最後はラスサビの歌詞で終わります。
darling 本当の音を聴いて
やるせない日々の膿は出切らないけど
ねぇ 私の私で居てもいいの?
あの子にはなれないし
なる必要も無いから
「本当の音」という表現には、相手に対して表面的な言葉や行動ではなく、自分の本心や真実を感じ取ってほしいという、切実な願いが込められています。
これは、感情を偽らず、自分の内面を素直に受け止めてほしいという強いメッセージではないでしょうか。さらには、音楽そのものが持つ「本当の音」という意味も含まれているように感じられ、楽曲全体のテーマともリンクしているように感じました。
自己を否定しがちな心の中で、自分自身を肯定したいという願い。「ねぇ 私の私で居てもいいの?」の問いかけは、聴く人にとっても、自分を受け入れることの難しさや大切さを考えさせられる部分です。
そして最後に、「あの子」=他者と自分を比較することから解放してくれるような、力強いメッセージが歌われて終わります。
他者との比較に意味がないことを認識し、むしろ「なる必要も無い」と宣言することで、自己受容のプロセスが完結する瞬間が描いているのです。僕はそう感じました。
これは、楽曲全体を通じて繰り返されてきた葛藤の中で得た結論であり、リスナーにとっても大きな救いを与える部分ではないでしょうか。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『ダーリン』を聴いてみて下さい!
自分自身を否定してしまいそうな時、この曲がきっとあなたの力になってくれるはずです。
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