Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『Ke-Mo Sah-Bee』の歌詞とその意味&魅力について解説していきます。
この曲は、4thオリジナルアルバム『Attitude』の11曲目に収録された楽曲。
畳み掛けるように刻まれる2ビートのドラムが印象的で、疾走感ある一曲となっています。
作詞作曲を手掛けたVo.大森くん自身も、『Ke-Mo Sah-Bee』はとてもかっこいい曲だとミセスLOCKの中で語っていました。
Mrs. GREEN APPLE(ミセス)公式Instagramの投稿から。
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後半ではこの楽曲の意味などについて詳しく書いているので、是非最後まで目を通してみてください!
それでは早速『Ke-Mo Sah-Bee』の歌詞紹介から書いていきます。
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
動画解説:『Ke-Mo Sah-Bee』歌詞考察してみた
このブログの内容は下記の動画でも解説中!
Mrs. GREEN APPLE『Ke-Mo Sah-Bee』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:4thアルバム『Attitude』
発売日:2019年10月2日(水)
ねぇ神様どうして
彼奴が世の中を通せんぼ?
ねぇ神様どうして
僕は注意せず黙ってるの?
右左下上後ろへ前へ
様々な角度で言ってくんの
花は散った
吠えろ、吠えろ
馬鹿げた愛を歌う気も冷めた
時は満ちた
出合え、出合え
錯乱の世を覚ますのは
どこの誰だ
ねぇ神様どうして
矢を抜かず人は笑ってんの?
ねぇ神様どうして
うんともすんとも答えず黙ってるの?
過去昨日今日明日未来へ前へ
散々価値観をすり合わせてやってんの
胸の穴を埋めて欲しいの
分かり合えるならもうキモサベだ
互いの心 許せる? 許される?
静寂の夜を晴らすのは
真に御前か
あいこでしょ って昔みたいに
友の意味なんてまだ知らずに
色の名前を知る度に
この世を離れれないのは何故だ
花は散った
吠えろ、吠えろ
馬鹿げた愛を謡うキモサベだ
時は満ちた
出合え、出合え
冷淡な世を覚ますのは
誰だ誰だ
よーいのどん ほら音が鳴る方へ
多少の怪我なら泣けばいいさ
よーいのどん ほら目に映る方へ
波の隨 涙との間
『Ke-Mo Sah-Bee』歌詞の意味&魅力
この曲のタイトル『Ke-Mo Sah-Bee』の読み方は”キモサベ”。
キモサベとは、信頼のできる友達という意味の言葉です。
この言葉の由来には諸説あり、先住民族の言葉で友人を意味する『kema』という言葉とアパッチ族(民族の名前)を意味する『sabe』に由来しているという説や、ミシガン州にあるキャンプ場『Camp Kee-Mo Sah-Bee』から取られた説などがあります。
元々は広く知られている言葉ではなかったのですが、世界中でヒットしたラジオドラマ『ロング・レンジャー』の作品中で用いられたことで一気にこの言葉が広まったようです。
この曲は、『仲間』をテーマに描かれた曲であることは間違いないのですが、正直この曲の考察は一筋縄ではいきませんでした。
他のどの楽曲もそうなのですが、この曲は特に抽象的な表現が多いのです。ということで、今回の考察はこれまで以上に参考程度に受け取っていただければと思います。
公式音源の紹介
ここからは歌詞解説をしていきます。
この曲の主人公はVo.大森くん自身
彼の経験を元に描かれた歌詞
1番:歌詞の意味
まずは冒頭Aメロ部分の歌詞から。
ねぇ神様どうして
彼奴が世の中を通せんぼ?
ねぇ神様どうして
僕は注意せず黙ってるの?
2行目に登場する、”彼奴”の読み方は”あいつ”。
この言葉は基本的に人をののしるときに使う言葉なのですが、友人への親しみを込めた言葉としても使われることがあります。
ここではおそらく、基本的には後者の意味で使われていると思うのですが、前者の意味も含まれていない訳ではなく、そのどちらもの意が込められているのだと僕は捉えました。
目の前にいる”あいつ(仲間)”は何かと自分の進路を妨害してくるけれど、奴はただの悪者なのか、それとも僕を想っているが故の行為なのか、判断がつかないのかもしれません。
ただ1つ明らかな事実があるとすれば、”あいつ”の妨害行為を黙って見過ごしている自分が居るということ。
このパートでは、ハッキリとしない”あいつ”との関係性にモヤモヤとしている主人公の姿が描かれているのでしょう。そして、”あいつ”との関係性を明確にしたいという願望は、神様に問いかけてしまうほど強いのです。
ちなみにこの曲のテーマは『仲間』でしたが、その観点から考察するとここで歌われる妨害行為というのは、仲間同士が互いに意見を主張し合うようなイメージでしょうか。
分かりやすく言うと、仲間割れのようなものなのだと思います。
同じゴールを目指す仲間同士だからこそ、対立が生まれて衝突してしまうことってありがちですよね。
続く1番Bメロの歌詞。
右左下上後ろへ前へ
様々な角度で言ってくんの
自分の行く手を阻むような”あいつ”の妨害は、様々な確度から飛んできます。
右を向いても左を向いてもいつも何かと邪魔をされる。
“あいつ(仲間)”はそんな存在なのです。
主人公はそんな”あいつ”に心底嫌気がさしているのかもしれません。
それと同時に、呆れのような感情もこのパートからは感じられます。
そして1番サビの歌詞がこちら。
花は散った
吠えろ、吠えろ
馬鹿げた愛を歌う気も冷めた
時は満ちた
出合え、出合え
錯乱の世を覚ますのは
どこの誰だ
“花は散った”というフレーズはおそらく、その後に出てくる”時は満ちた”と同じ意味合いで使われているのだと思います。
それはつまり、”あいつ”との曖昧な関係性について考えを巡らせて、心をすり減らすのはもう終わりだと言っているのではないでしょうか。
ここで歌われる”馬鹿げた愛”という言葉がまさに、その”曖昧な関係性”のことを意味しているのだと捉えました。
主人公はきっと疲れ果ててしまったのです。
そしてそうやって考えることを辞めると、例え仲間であってもひたすらに”あいつ”に嫌悪感を抱いてしまうものなのかもしれません。
“あいつ”とは心から分かり合える仲間にはなれないのかもしれない。それならば、真に自分の心を満たしてくれるような仲間とはどんな人間なのか、誰なのか。
主人公は、心をすり減らさずに関われる新しい仲間と早く出会いたいと、心底願っているのだと思います。仲間同士の関係にはきっとそんな時期があるのです。
2番:歌詞の意味
まずは冒頭Aメロ部分の歌詞。
ねぇ神様どうして
矢を抜かず人は笑ってんの?
ねぇ神様どうして
うんともすんとも答えず黙ってるの?
ここで登場する”矢”とは、
人の心を傷つけるようなものを象徴した言葉として捉えられそうです。
目の前にいる”あいつ(仲間)”は、なぜ僕を傷つけることばかりしてくるのだろうか?それでいてなぜヘラヘラと笑っていられるのだろうか?
主人公には理解できないのだと思います。
そして更には、逆に僕が”あいつ”に何かを問いかけたり意見ぶつけたりしたとしても、何も答えようとしない態度に、より一層苛立ちを感じるのです。
なぜこんなにも思い通りにいかないのか、ぶつかり合ってしまうのか。
このパートでは、互いに本気で同じゴールに向かっている仲間同士だからこそ生まれる衝突が表現されているのではないでしょうか。
続く2番Bメロの歌詞。
過去昨日今日明日未来へ前へ
散々価値観をすり合わせてやってんの
振り返ってみると、これまで幾度となく繰り返してきた衝突は、互いの価値観をすり合わせる度に起きていたことだったのかもしれません。
きっとこれまでの主人公は、”衝突=悪”という捉え方をしていたのかもしれませんが、それは本来、より良い未来に向かって前進するために必要なものであり、きっとその衝突はとてもポジティブに捉えるべき出来事なのです。
ここでは、そんな事実に少しずつ気づき始めた主人公の姿が描かれているような気がします。
そして2番サビの歌詞がこちら。
胸の穴を埋めて欲しいの
分かり合えるならもうキモサベだ
互いの心 許せる? 許される?
静寂の夜を晴らすのは
真に御前か
“胸の穴”という言葉で表現されているのは、これまで抱えてきた痛みや苦しみ、そして”あいつ”との関係性にモヤモヤとしている感情のこと。
そんな感情をどこかへ消し去りたというのが主人公の願いであり、実はきっと”あいつ”も同じことを願っているのです。
仲間というのは、互いに大きな夢を追い求めるが故に衝突を繰り返しますが、腹を割って話すことができれば、必ず分かり合えるはずなのだということが歌われている気がします。
その事実に気づくことが出来たときに、本当の意味で信頼の置ける仲間になることが出来るのかもしれません。
これまで何度も”あいつ”に嫌気がさしていた主人公でしたが、きっと”あいつ”こそが心許せる親友であり仲間なのだということに気が付いたのです。
その後Cメロの歌詞が続きます。
あいこでしょ って昔みたいに
友の意味なんてまだ知らずに
色の名前を知る度に
この世を離れれないのは何故だ
ここで歌われる”あいこ”とは、ぶつかり合ったりいがみ合ったりしていた頃のことを表現した言葉なのではないでしょうか。あいこが続くといつまでも戦いは終わりません。
そうやって争いが続いてきたのは、主人公が”親友(仲間)”の意味を理解していなかったからなのです。ぶつかり合ったりいがみ合ったりする人同士なんて、仲間とは言えないと捉えていたのだと思います。
そしていつしか、中々親友ができないこの世の中にすら嫌気を感じていたのです。この世から消えてしまいたいとまでも思っていたのかもしれません。
しかし、少しずつ時が経つにつれて、真の親友(仲間)とはいがみ合いながらも共に切磋琢磨していくものなのだということを理解します。
ここで歌われる”色の名前”とは、世の中に散らばるあらゆる真理のことを表現した言葉であり、それが自分の中で解き明かされる度に、この世も捨てたもんじゃないなと再認識するのです。
そしてラスサビの歌詞がこちら。
花は散った
吠えろ、吠えろ
馬鹿げた愛を謡うキモサベだ
時は満ちた
出合え、出合え
冷淡な世を覚ますのは
誰だ誰だ
1番サビとほぼ同様の歌詞が歌われますが、1番で歌われた”馬鹿げた愛を歌う気も冷めた”という部分が”馬鹿げた愛を謡うキモサベだ”というフレーズに変わっています。
これまでは”あいつ”とのいがみ合いに心をすり減らしていましたが、今ではそのいがみ合いを楽しめる様になっているのかもしれません。
そうすると少しずつ、主人公の目の前が明るく照らされ始めます。
自分にとっての悪者だと感じていた”あいつ”こそが、冷淡だと思い込んでいたこの世に彩りを与えてくれる存在だったのです。
ラストはアウトロの歌詞で終わります。
よーいのどん ほら音が鳴る方へ
多少の怪我なら泣けばいいさ
よーいのどん ほら目に映る方へ
波の隨 涙との間
今身近にいる存在がキモサベ(心の許せる仲間)であるならば、後は迷いなく共に前に突き進むだけ。
少しのぶつかり合いやモヤモヤに悩んでいる暇など無いのです。
互いに意見をぶつけ合いながら、時には涙を流しながら、切磋琢磨するのが真の仲間というものなのかもしれません。そして後は、流れに身を任せて一歩ずつ前進していけば良い。
作詞作曲を手掛けた大森くんは自分の経験を通して、真の仲間とは何か、キモサベとはどういう存在なのかということを教えてくれているのだと思います。
ぜひ歌詞の意味を噛み締めながら、この曲『Ke-Mo Sah-Bee』を聴いてみて下さい!
真に心を許せる仲間がほしい!と思わせてくれる熱い楽曲です。
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