Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『庶幾の唄』の歌詞とその意味について考察していきます。
この曲は、大塚製薬「カロリーメイト」主催”卒業メイト”キャンペーン公式ソングとして起用された楽曲。
『庶幾の唄』では、大きな決断を”小さな言葉”に置き換え、大きな痛みを”小さな実践”で和らげていく。そんな優しくて前向きな楽曲になります。
本記事では、歌詞に込められたメッセージをフレーズごとに丁寧に読み解き、楽曲全体を通じて伝わる深い意味を探っていくので、ぜひ最後までご覧ください!
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
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Mrs. GREEN APPLE『庶幾の唄』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:1stフルアルバム『TWELVE』
発売日:2016年1月13日(水)
あの日の後悔を
食べれてしまえばいいのにな
あの頃にはどうしても
言えなかった2文字もあったっけな
そろそろお腹が空いてきたな
毎日のサイクルはもう飽きた
実は彩られているんだと
気づくのは あと何世紀先だ
ワタクシのお仕事は
・素材になること
全てになんかなれずに
・一部になること
どうかずっとこの世界を大好きでいてね
朝も来たし夜も来たし変わりないよ
今日もいつもの様に
good morning, good night
I love you で good-bye
but 離れられない
明日へと庶幾う唄
happyなlifeは素晴らしい
まだ始まったばっかりだ
あの日の恥じらいが
可愛く思えてきたんだよ
あの日の温もりを
ずっと感じていたいのにな
汚いけど愛すべきな生き物なら
世間に甘やかされ今、恥をかくとこ
「まるで普段目には見えぬ妖精みたいね」って
気づいてくれたから
未来のために
会いに来たんだよ
good morning, good night
I love you で glad
「…I don’t know what to say」
お気に入りのシャツで
いっそ幸せになろう
そう 未来へ託そう
good morning, good night
I love you と good-bye
そのぐらいがいいや
明日はわからないから
委ねましょう
good morning, good night
I love you で good-bye
傷は絶え間ない
お気に入りの服で
今日くらいは幸せになろう
ほら 愛に満ちたこの日々
では また会いましょう
『庶幾の唄』歌詞の意味&楽曲背景
タイトルにある「庶幾(しょき)」は、”こいねがう=広く願う”という意味を持つ言葉。
この曲は、後悔や恥ずかしさといった個人的な痛みを、朝晩の挨拶や「I love you」「good-bye」といった軽やかな言葉で優しく包み込みます。
すると、ただ繰り返すだけに見える日常が、特別な祝祭へと反転していくのです。
公式音源の紹介
公開されている公式音源がこちら。
ここからはフレーズごとに歌詞考察をしていきます。
1番:歌詞の意味
1番Aメロの歌詞。
あの日の後悔を
食べれてしまえばいいのにな
あの頃にはどうしても
言えなかった2文字もあったっけな
この曲の中心にあるのは、「後悔」を”食べる”という大胆な発想の転換です。ふつう後悔や悔しさは、心の中に沈むような目に見えない感情として描かれますが、この作品ではそれを”口に入れて処理するもの”として表現しています。
「食べる」という行為は、下記の3つのステップからなり、この流れがそのまま「後悔をどうやって受け止め、乗り越えるか」という心のプロセスに重ねられているように感じました。
①噛んで分解する(咀嚼)
②体に取り込む(吸収)
③不要なものを出す(排泄)
つまり「後悔を食べられたらいい」という言葉には、感情を噛み砕いて理解し、自分の中で昇華し、最後は手放すまでの一連の意味が込められているのではないでしょうか。心の問題を体の動きとして描くことで、見えない苦しみを見える形にし、聞き手に「自分にも扱えるかも」と感じさせてくれるのです。
また、「言えなかった2文字」という表現も重要なポイントです。たった2文字に、たくさんの意味や思いが込められているように感じます。たとえば「好き」「ごめん」「いや」などが考えられますが、大切なのは”2文字=小さな決断”という点ではないでしょうか。
長い説明ではなく、短くて具体的で、相手にちゃんと届く現実的な言葉。この「ミニマムな言葉が人生の大きな分かれ道を決める」という感覚は、サビの「good morning / good night / I love you / good-bye」といった短い言葉にもつながっていく気がしています。
時間の表現にも注目したいです。「あの日」という一日を示す言葉と、「あの頃にはどうしても」という長い時間を感じさせる表現が並んで使われています。これによって、ひとつの出来事と、その周辺にあった季節や時間の流れが同時に思い出されるようになっています。大森くんの歌詞は、具体的な言葉と広がりのある表現を組み合わせて、聞き手がそれぞれの「あの日」を重ねられるようになっているのです。
その結果、誰もが心の中に持っている「送れなかったメッセージ」が、この曲の中で息を吹き返します。
そして1番A’メロの歌詞。
そろそろお腹が空いてきたな
毎日のサイクルはもう飽きた
実は彩られているんだと
気づくのは あと何世紀先だ
「お腹が空いた」「サイクルに飽きた」といった日常的な言葉は、重くなりがちな心のモヤモヤを、あえて軽く・カジュアルに言い換えるための工夫だと思います。
心理学のカウンセリングの視点から見ると、感情を”一次感情”(たとえば「空腹」や「退屈」)として捉えることは、とても意味のあることです。というのも、「悲しみ」や「焦り」のような抽象的な感情よりも、「お腹がすいた」「飽きた」といった具体的な感覚のほうが、どう対処すればいいかがすぐに思いつきやすいからです。大森くんは、そうした対処しやすい言葉に感情を翻訳するのがとても上手だなと強く感じます。
その後に続く「実は彩られて〜何世紀先だ」という一文では、直前までの「今日の空腹や退屈」という身近な話から、一気に「何世紀先」というスケールの大きな未来へとジャンプします。ここで語られているのは、「世界や人生にはもともと価値や彩りがある。でも、自分がそれに気づくのはずっと先かもしれない」という考え方です。つまり、「今がつまらなく感じるのは、価値がないからではなく、まだ気づけていないだけ」というポジティブな前提が置かれているのです。
この表現には、「自分って鈍いなぁ」という自己否定的なトゲはありません。むしろ、それをちょっとした笑いに変えて、自分自身の”気づけなさ”さえも優しく受け止めています。このようにして、聴き手も「今わからない自分」を責めずに受け入れることができるのです。そして、受け入れることで前に進むための第一歩にもなります。
自分を責めるのではなく、動き出せる気持ちの形を整える。それがこのパートの核心では無いでしょうか。
続く1番Bメロの歌詞。
ワタクシのお仕事は
・素材になること
全てになんかなれずに
・一部になること
どうかずっとこの世界を大好きでいてね
朝も来たし夜も来たし変わりないよ
今日もいつもの様に
「ワタクシのお仕事は・素材になること」「全てになんかなれずに・一部になること」というフレーズで語られているのは、「なんでもできる」「主役になりたい」という思いを手放し、「誰かの大切な何かをつくる一部になれたらいい」という考え方だと思います。
主人公は、自分ひとりで輝こうとするのではなく、誰かの作品や人生、未来を支える素材のような存在になることを選んでいるということ。それは目立たないかもしれませんが、とても大切な役割です。
この考え方は、バンドの演奏にも通じるものがありそうです。音楽では、メンバーそれぞれが役割を分担し、音の隙間を活かすことで、美しいアンサンブルが生まれます。全員が目立とうとすると、音楽はごちゃごちゃになってしまいます。人生も同じで、それぞれが主役でない部分を大切にすることで、全体がうまく回る。そんなメッセージがここには込められているのではないでしょうか。
さらに、「どうかずっとこの世界を大好きでいてね」という言葉では、愛の向け方が変わっています。誰か特定の相手だけを想うのではなく、「世界」全体に対して優しい気持ちを持ち続けてほしい、という願いがこめられています。
そして言葉づかいにも注目です。「ワタクシ」や「どうか」といった丁寧な表現が、感情の押しつけをやわらげているように感じます。心には熱があっても、それを静かに、礼儀正しく届けようとする姿勢が感じられます。このような、優しくて上品だけど、実はとても挑戦的な姿勢が、ミセスの魅力ではないでしょうか。
そして1番サビの歌詞。
good morning, good night
I love you で good-bye
but 離れられない
明日へと庶幾う唄
happyなlifeは素晴らしい
まだ始まったばっかりだ
「good morning〜 good-bye」という短い言葉の組み合わせは、日常のやりとりを儀式のように扱ったフレーズ。
「おはよう」「おやすみ」といった挨拶は、誰もが使う、安心で決まりきった言葉です。その中に、「I love you(愛してる)」や「good-bye(さようなら)」のような、とても個人的で壊れやすい言葉を挟むことで、公共の言葉と個人の想いが同じ場に並べられます。
これによって、「別れ」や「愛の告白」といった感情的に強い行為も、挨拶という日常的で安心できる形に落とし込まれます。つまり、熱すぎる感情がそのまま心を傷つけないよう、言葉にクッションのような役割を持たせているのではないでしょうか。
また、「離れられない」というフレーズは、ぱっと見では執着を感じさせるかもしれませんが、すぐに「明日へと庶幾う唄(こいねがううた)」へとつながっていきます。「庶幾う(こいねがう)」という上品な古い言葉をタイトルから再び呼び出すことで、個人の小さな祈りを、みんなに広がる願いへと引き上げています。
そして、「happyなlifeは〜始まったばっかりだ」というフレーズでは、時間の流れに対する前向きな姿勢がはっきりと示されています。
ここで大切なのは、ただ軽く楽観的なことを言っているのではない、ということです。「素晴らしい」「始まったばっかり」という言葉には、たとえ今つらい状況にあっても、未来には希望があると信じる強い意志があります。つまり、今や過去をどうこう悔やむより、これからの可能性に目を向けようというメッセージが、明るい言葉の中に込められているのだと思います。
2番:歌詞の意味
2番Aメロの歌詞。
あの日の恥じらいが
可愛く思えてきたんだよ
あの日の温もりを
ずっと感じていたいのにな
「恥じらいが可愛く思えてきた」という言葉は、自分の過去をちょっと違う目で見直して、やさしい言葉でラベリングし直す行為です。
心理学ではこれを「再評価」と呼び、つらい気持ちや痛みをやわらげるための、心の働きのひとつとされています。「恥」という感情は、本来なら自分を小さく、引っ込ませてしまうもの。しかしそれを、「可愛い」と思えるようになることで、過去の自分の不器用さや未熟さをも、大切な物語の一部として受け入れることができるようになります。
これは単に前向きに考えるというよりも、「時間がたったからこそ、別の意味づけができるようになった」という、自分の過去への編集の力を使っているのだと思います。
そして、「温もりをずっと感じていたいのに」という一文では、人がよく抱くずっと続いてほしいという願いがにじみ出ています。しかし現実には、時間は止まってくれないし、温もりも消えてしまうもの。だからこそ、この願いは叶いそうで叶わないという、切ない気持ちをひしひしと伝わってきます。
ここで言う”温もり”は、抽象的な幸福ではありません。体温や、声のぬくもり、会話の間といった、具体的で触れられるような記憶に結びついているのではないでしょうか。
続く2番Bメロの歌詞。
汚いけど愛すべきな生き物なら
世間に甘やかされ今、恥をかくとこ
「まるで普段目には見えぬ妖精みたいね」って
気づいてくれたから
未来のために
会いに来たんだよ
「汚いけど愛すべきな生き物」という表現は、人間の完璧じゃない部分をまるごと受け入れる姿勢を表しているような気がします。「汚い」というマイナスな言葉をあえて最初に出すことで、あとに続く「愛すべき」という肯定が、ただの甘やかしや理想化にならず、リアルで深い意味を持ちます。
これは「きれいごと」ではなく、「人は弱さや不完全さを持っていて当たり前だよね」とする、包み込むような優しさの倫理ではないでしょうか。
「世間に甘やかされ今、恥をかくとこ」というフレーズからは、「誰かに認められる=嬉しい」だけでは終わらない、現代ならではの痛みが浮かびます。世間の優しさに助けられてきたからこそ、うまくいかなかったときの恥ずかしさが際立ってしまう。これは、今の時代を生きる「見られている自分」に敏感な人たちが感じやすい心の揺れではないでしょうか。
そんな中で、転機となるのが「妖精みたいね」というひとことです。これは、普段は誰にも気づかれないような細やかな気づかいや努力、優しさを、ある人がちゃんと見てくれた瞬間のことではないでしょうか。その認識が、心の中でくすぶっていた主人公を、行動へと押し出します。「未来のために会いに来た」というセリフは、その結果としての前向きな一歩です。
そして言葉の使い方にも注目したいです。「汚い/愛すべき」「甘やかされ/恥をかく」「見えぬ/気づく」といったように、相反するものが並べられています。この両方を並べるという表現で、人は矛盾する気持ちを同時に抱えるものだ、という”ゆらぎ”をそのまま肯定してくれるから、聴く人も安心できるのではないでしょうか。
そして2番サビの歌詞。
good morning, good night
I love you で glad
「…I don’t know what to say」
お気に入りのシャツで
いっそ幸せになろう
そう 未来へ託そう
「I don’t know what to say(何て言ったらいいかわからない)」という英語の一文は、1番Aメロにあった「言えなかった二文字」とつながっているように感じます。ここでは、言葉が出てこない自分を素直に表していて、その沈黙を否定していません。
むしろこの曲は、「言葉が出ないこと=ダメなこと」ではないと伝えています。むやみに何かを言い切るよりも、言葉に詰まるその瞬間こそが、本当の気持ちを表していることもある。慎重さや不器用さが、むしろ愛の深さを感じさせる。そんなメッセージが込められているのかもしれません。
「お気に入りのシャツで いっそ幸せになろう」というフレーズも印象的です。ここには2つの意味があるように感じました。
まずひとつ目は、「服を変えると気分も変わるよね」という、日常の中にある小さな発見。シャツという身につけるものを通して、気持ちを切り替える行動へとつなげています。つまり、幸せを遠くの理想ではなく、すぐできることとして歌っている気がします。
ふたつ目は、「お気に入り」という価値を、自分の中から見つけ出すということ。誰かに褒められたからではなく、自分自身の感覚で「これが好き」と言えること。これは、自尊心を育て直すことにもつながります。
そして、特に注目すべきは「いっそ」という言葉です。これは「迷ってないで、いっそのことやっちゃおう!」というような、思いきった気持ちのジャンプを表しています。あれこれ考え込むより、とにかくやってみることを大事にする姿勢ではないでしょうか。
ラスサビの前半の歌詞。
good morning, good night
I love you と good-bye
そのぐらいがいいや
明日はわからないから
委ねましょう
このパートで注目したいのは、「明日はわからない」というわからなさを、そのまま受け入れているところです。ふつう「わからないこと」は、不安のもとになります。しかし、わからないことを無理にどうにかしようとせず、「わからないままでいい」と受け入れられたとき、不安はかえって小さくなるのです。
そして、「委ねましょう」という言葉にも大切な意味があります。ここでの”委ねる”という行為は、投げやりなあきらめではありません。自分ではどうにもできない未来のことを、時間や他の人、自分自身のこれからの成長に信じて預けてみるという姿勢だと思います。
今日の言葉づかい、誰かへの態度、自分の好きな服、そういった小さな選択に心を向けよう、とやさしく教えてくれているのではないでしょうか。
また、「〜ましょう」という語尾にも注目したいです。この言い方は、一方的な”説教”ではなく、「いっしょにやってみようよ」という呼びかけになっています。だからこそ聴いている人も、自分ひとりで頑張らなくていい、と感じられるのです。
そしてラスサビ後半の歌詞。
good morning, good night
I love you で good-bye
傷は絶え間ない
お気に入りの服で
今日くらいは幸せになろう
ほら 愛に満ちたこの日々
では また会いましょう
クライマックスで「傷は絶え間ない」とはっきり言い切るところが、とても気持ちよく感じられます。これは、「ずっと幸せでいよう」といった無理な明るさを押しつけるのではなく、「痛みはこれからも続くかもしれない」という現実をしっかり認めたうえで語られています。
そのうえで、「お気に入りの服で 今日くらいは幸せになろう」と前向きな一言を重ねる。この表現には、今という短い時間に焦点をあてた「ちょうどよい幸せ」の考え方があります。
永遠に続くような完璧な幸せではなく、今日一日だけでも感じられる小さな幸せ。これなら、無理なく実現できそうだし、自分でもできると思える。これは心理学でも「レジリエンス(心の回復力)」を高める方法として知られる、小さな成功や喜びを積み重ねていくやり方とよく似ています。
そして、最後の「愛に満ちた〜会いましょう」という言葉は、別れの場面をとてもやさしく包んでいます。
本来、別れは”もう二度と会えない”と思ってしまうからこそ悲しいもの。しかし、「また会いましょう」という未来の約束が添えられることで、その悲しみはやわらぎ、「これで終わりじゃない」と感じられるのです。
これは、まるで一冊の物語を閉じたあとに「次の章はあなたの生活の中で続いていきますよ」とバトンを渡すような終わり方に感じます。聴き手自身が、ここから先の物語を自由に描いていける。そんな余白と希望を意図的に残してくれているのかもしれません。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『庶幾の唄』を聴いてみて下さい!
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