Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『Hug』の歌詞とその意味について考察していきます。
この曲は、「寂しさ」と「疲弊」を抱えた語り手が、”ハグ”という最小の温もりに救いを求める楽曲。
朝と夜、星と太陽の反転で心の陰影を描き切る、ミセスのダークで優しい名曲です。
本記事では、歌詞に込められたメッセージをフレーズごとに丁寧に読み解き、楽曲全体を通じて伝わる深い意味を探っていくので、ぜひ最後までご覧ください!
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
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Mrs. GREEN APPLE『Hug』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:1stフルアルバム『TWELVE』
発売日:2016年1月13日(水)
寂しくなった。
誰か ワタシを温めてと
朝になれば 星達が
塵になっていく
おはよう
また今日が始まったね
おやすみを云うまでの辛抱だ
ひどく疲れてるんだ 潤してよ
アナタと私だけのハグをしよう
アナタと私だけのハグにしよう
悲しくなった。
誰か ワタシを慰めてと
夜になれば お日様が
裏切って去っていく
おはよう
また今日が始まったね
おやすみが云えるだけ有りにしよう
ひどく考えんだ 狂わしてよ
アナタと私だけの街にしよう
心の恋はノミだらけ
もう血だらけの 愛を立候補
その正体 衣だらけ
この血だらけの 愛は一等賞?
おはよう
また今日が始まったね
お星様に礼を言うばかりだ
「ひどく疲れてんだ 潤してよ」
私と私だけのハグをしよう
私と私だけのハグにしよう
ハグをしよう
ハグをしよう
ハグにしよう
『Hug』歌詞の意味&楽曲背景
この曲『hug』は、日々の始まりと終わりに押し寄せる孤独と不安を、”ハグ”という具体的な接触でつなぎとめようとする楽曲です。
朝になると「星達が塵になっていく」、夜になると「お日様が裏切って去っていく」。そんな宇宙規模の比喩を個人的な感情へ折りたたむことで、世界そのものを心象風景化します。
アルバム『TWELVE』の中でも、インスト「InTerLuDe〜白い朝〜」の直後に置くことで、”音響的な朝”→”言葉としての朝”へ移行する構造が見えます。続く「HeLLo」へのバトンも含めて、「Hug」は”朝に耐える技法”を提示する楽曲として良さそうです。
アルバムの中で、気分の暗転を最も繊細に取り扱う”陰影の核”といえるのではないでしょうか。
公式音源の紹介
公開されている公式音源がこちら。
ここからはフレーズごとに歌詞考察をしていきます。
1番:歌詞の意味
1番Aメロの歌詞。
寂しくなった。
誰か ワタシを温めてと
朝になれば 星達が
塵になっていく
「寂しくなった。」という冒頭は、驚くほど短く、句点で感情をぶつりと切り落としています。ここには説明を挟む余地のない即時性があり、”理由”よりも”状態”を優先して提示している点が重要です。
続く「誰か ワタシを温めてと」の”誰か”は固有名を欠いた不特定化。求めているのは”特定の誰か”ではなく、”温度”という機能だということ。その切迫感が、カタカナ表記の「ワタシ」ににじみます。
カタカナの距離感は、自分を少し他人事のように扱い、痛みを直視しすぎないための視線処理として機能していそうです。大森くんの書く歌詞には、こうした”心のカメラの角度をずらす”表現の工夫がしばしば見られ、過剰なセンチメンタルに沈む前に、一歩引いた視点を差し込んでくれるのです。
そして「朝になれば 星達が/塵になっていく」では、夜空の星=希望や慰めの象徴が、朝になると可視性を失い、”塵”へと格下げされるということではないでしょうか。「消える」や「見えなくなる」ではなく、”価値の転落”として描く言葉の選択が鮮烈だなと感じます。光(現実)が幻想(慰め)を無効化する残酷さを表現しているのかもしれません。
世界の運行は皆に等しいものであるのに、語り手にはそれが「希望がゴミになる」ように感じられる。この、宇宙的スケールと個人的な心情が同じレイヤーで語られるところに、この曲のダイナミズムが宿っているように感じます。
そして1番サビの歌詞。
おはよう
また今日が始まったね
おやすみを云うまでの辛抱だ
ひどく疲れてるんだ 潤してよ
アナタと私だけのハグをしよう
アナタと私だけのハグにしよう
「おはよう/また今日が始まったね」は、日常の挨拶を祝祭的に使うのではなく、”通告”として置かれている点が特徴的です。ここでは朝の光は味方ではなく、むしろ新しい一日の負荷を知らせるものになっています。
続く「おやすみを云うまでの辛抱だ」では、一日全体が”我慢”として括られており、未来への希望ではなく、終わりまで耐え抜可なければならない消極的なものとして浮かび上がります。
「ひどく疲れてるんだ 潤してよ」では、”潤す”という水のメタファーが使われます。これは乾いた心に生理的なケアを求める直截的な訴えなのではないでしょうか。「慰めて」ではなく「潤して」を選んだことで、言葉による癒やしではなく、”湿度”という質感で心を回復させたい欲望が表れているように感じました。
そして「アナタと私だけのハグをしよう/…ハグにしよう」では、”だけの”によって二人の世界の強固な境界線が描かれます。
また、前半の「ハグ”を”しよう」と後半の「ハグ”に”しよう」の助詞の違いも重要です。「ハグをしよう」は行為の決行宣言であり、「ハグにしよう」は二人の時間そのもの=関係の内容を”ハグ”に指定するニュアンスになります。ここで”ハグ”は単なる一つの行動の枠を超えて、”関係のかたち”として格上げされているのだと思います。
2番:歌詞の意味
2番Aメロの歌詞。
悲しくなった。
誰か ワタシを慰めてと
夜になれば お日様が
裏切って去っていく
「悲しくなった。/誰か ワタシを慰めてと」では、1番の「寂しい」から「悲しい」へと言葉が変化します。「寂しさ」は他者不在による空洞感、「悲しさ」は損失に伴う痛み。感情がより深く、重く沈んでいることを示しているのではないでしょうか。
ここでもカタカナの「ワタシ」は、内面のうずきを直視しすぎないための距離化として機能しているように感じました。
そして「夜になれば お日様が/裏切って去っていく」では、太陽を擬人化し「裏切って」と言い切る強さが目を引きます。本来は中立である自然現象を”裏切り”と捉えるのは、”世界が敵に回る”という心象そのもののようにも感じます。
休息のはずの夜が、光の撤退によってむしろ絶望の象徴に変わっている。1番での”星→塵”の比喩とは逆方向のベクトルで、昼夜それぞれが語り手を追い詰める二重包囲となっているのです。
そして2番サビの歌詞。
おはよう
また今日が始まったね
おやすみが云えるだけ有りにしよう
ひどく考えんだ 狂わしてよ
アナタと私だけの街にしよう
「おはよう/また今日が始まったね」と、ここでも”通告としての朝”が繰り返されます。
「おやすみが云えるだけ有りにしよう」では、「有りにしよう」という珍しい言い回しが印象的です。これは”完璧は無理でも、せめて一日の終わりに『おやすみ』と言えれば良しとする”という最低限のライン設定ではないでしょうか。幸福の閾値を意図的に下げることで、自壊を防ぐ応急措置を取る語り手の姿が見えてきます。
続く「ひどく考えんだ 狂わしてよ」は、考えすぎる自分への嫌悪をありのままに吐き出したフレーズです。「狂わしてよ」からは、思考を外部からの衝撃で壊してほしいという欲望も感じます。ここで”あなた”は、慰める存在にとどまらず、”破壊(良い意味での脱臼)”をもたらす存在へと変容しているのかもしれません。
そして「アナタと私だけの街にしよう」では、メタファーが”ハグ(点)→街(面)”へと拡張されています。二人の関係は瞬間的な抱擁から”生活圏”へスケールアップしているのです。街とは制度やインフラ、ルールや共同体の象徴。
二人だけの”自治”を求める姿からは、外界からの侵入を拒む排他性と、そこでやっと呼吸できる切実さという両刃を帯びているように感ました。
その後Cメロの歌詞が続きます。
心の恋はノミだらけ
もう血だらけの 愛を立候補
その正体 衣だらけ
この血だらけの 愛は一等賞?
「心の恋はノミだらけ」にある、ノミは小さく厄介で、血を吸う存在。恋を”かゆみ”や”不快感”を伴う寄生として表象する強烈な言葉になります。甘美さの裏で、自己を損耗させる”微小で無数の痛み”が積み重なっていることを示しているのではないでしょうか。
そして「もう血だらけの 愛を立候補」の”立候補”という言葉も絶妙です。愛を”選挙”にたとえことで、痛ましいほどに傷つきながらも、それでも「私が愛を差し出す」と名乗り出る主体の意志が感じられます。ただここには、勇気と同時に、どこか滑稽さも同居しているように感じました。
「その正体 衣だらけ」の”衣だらけ”は、愛の正体が外皮や衣装に覆われていて、本体に触れられないことを表現しているのではないでしょうか。自己演出や社会的仮面、役割の層が重なり合い、素肌に触れられないもどかしさが漂います。
最後の「この血だらけの 愛は一等賞?」にある、”血だらけ”という惨状と”一等賞”という栄光のギャップはユーモラスであり、同時に悲壮感が伝わってきます。痛みの総量を”栄冠”に転化したいという皮肉な祈りが込められているのではないでしょうか。
そして最後の疑問符は、自己肯定が未遂に終わる感触を残して、聴き手の胸に余白を突きつけているのかもしれません。
最後はこのラスサビの歌詞。
おはよう
また今日が始まったね
お星様に礼を言うばかりだ
「ひどく疲れてんだ 潤してよ」
私と私だけのハグをしよう
私と私だけのハグにしよう
ハグをしよう
ハグをしよう
ハグにしよう
「お星様に礼を言うばかりだ」のフレーズでは、1番”星→塵”と価値を貶めていたのに、終盤で”礼”を言う。この矛盾こそが語り手の人間らしさではないでしょうか。
救ってくれたわけではないかもしれないけれど、見守ってくれていたような気がする。その曖昧な恩義が滲んでいるように感じました。
「『ひどく疲れてんだ 潤してよ』」では、引用符が重要になりそうです。自分の言葉を反芻することで、疲弊の自己認知を確かめ、同時にその反復が”祈り”のような機能を帯びていルように聞こえます。
そして「私と私だけのハグをしよう/…にしよう」で、決定的な転回が訪れます。“アナタと私”から”私と私”へ。外部に依存していた救済が、自己抱擁という内的ケアに帰着するということだと思います。
セラピーとしての「セルフ・ハグ」には実際に心拍や呼吸を落ち着かせる効果があるとされますが、ここではそれが詩的な終着点として提示されているのではないでしょうか。
繰り返される「ハグをしよう/ハグにしよう」は、命令形でも問いかけでもなく、”共同の合意文”として響きます。最後に”二人の世界”は”私の内側”へと縮退しますが、それは完全な敗北ではなく、かろうじての自己受容として小さな光を放つのです。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『Hug』を聴いてみて下さい!
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