Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『道徳と皿』の歌詞とその意味&魅力について解説していきます。
この曲は、3rdミニアルバム『Variety』のラスト6曲目に収録された楽曲。
1stミニアルバム『Introduction』、2ndミニアルバム『Progressive』、そして3rdミニアルバム『Variety』を3部完結の作品として捉え、そのラストを締めくくるために書き下ろされたのが『道徳と皿』になります。
それぞれのテーマは、『無常観』『対人関係』『娯楽』となっており、この曲にはその全ての要素が詰め込まれているそうです。
Mrs. GREEN APPLE(ミセス)公式Instagramの投稿から。
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後半ではこの楽曲の意味などについて詳しく書いているので、是非最後まで目を通してみてください!
それでは早速『道徳と皿』の歌詞紹介から書いていきます。
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
動画解説:『道徳と皿』歌詞考察してみた
このブログの内容は下記の動画でも解説中!
Mrs. GREEN APPLE『道徳と皿』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:3rdミニアルバム『Variety』
発売日:2015年7月8日(水)
空腹勇者のストーリー
傷を癒せるそのアイテムは
こちら道徳の果実
雁字搦めの毎日
「触れた肌も私を嫌うんじゃないか」
「疑いを覚えた」
盛り付けられた
彩りに溢れた
それは華の様な日々だった
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよ わかっては居るけど
“生き抜くには傷を付けなければ”なの?
どうか「道徳」を 今
さぁ お食べ
不景気現世の不条理
皆が惑わされる正体は
実は狼狽の魔術
壊されちゃったかい? 誰かに。
裏切られちゃったかい? 愛に
生きるとはなんだ
「見返りを覚えた」
意味付けられた
彩りが薄れた
どれが正しいのか教えて
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよ わかっては居るけど
生き抜くには満ち足りすぎているの。
「愛」と呼べる本物を
さぁ 探せ
瞳で触れれた幸せも
形を失うでしょう
避けられない事でしょう
「壊れた。」
それでもまたなにかを信じたいな
光と云うには 程遠いが
こんな世界でずっと、生きてゆこうと思うんだ
温かいモノを忘れないこと。
すれ違う思い 泣き合えた「青春」も
そうか。「道徳の果実」を食べて
どうか どうか諦めず
さぁ 笑え
さぁ はじめてみて
『道徳と皿』歌詞の意味&魅力
この曲『道徳と皿』で歌われているのは、人間が持つ脆さや危うさについて。
3rdミニアルバム『Variety』のジャケット写真は、この曲とリンクするアートワークになっており、宙に浮く”果物”一つ一つが人間一人一人の”道徳観”を象徴しているそうです。
そして最も重要なポイントは、その果物たちがいつお皿から落ちてもおかしくない状況に置かれている点になります。
そのイメージは、人間の道徳観や人生観はいつ崩れ落ちるか分からない状況にあり、誰しもが心の脆さを抱えているのだということを教えてくれているのです。
実はこの曲、元々タイトルは決まっていたものの歌詞を書くのにかなり苦戦したそうで、作詞作曲を手掛けた大森くん曰く、結果的に色々な解釈ができる歌詞になったとのこと。
ということで、今回の考察は参考程度に受け取っていただけると嬉しいです。
ぜひみなさんも歌詞を読み込んで、歌詞の意味を考察してみて下さい!
公式音源の紹介
ここからは歌詞解説をしていきます。
1番:歌詞の意味
まずは冒頭Aメロ部分の歌詞から。
空腹勇者のストーリー
傷を癒せるそのアイテムは
こちら道徳の果実
導入部分であるこのパートでは、この曲の概要が歌われています。
ここから歌われるのは<空腹勇者のストーリー>ですよと言っているのです。
<空腹勇者>と称される人物こそがこの曲の主人公であり、それは特定の誰かを表している訳ではなく、この世界を生きる全ての人たちのことを象徴しているのだと思います。
そしてそんな勇者が生き抜く物語が『道徳と皿』で歌われているのではないでしょうか。
人は多くの場合、正義を貫いてこの世界を生き抜こうとしているのですが、みんなお腹を空かせたように活気がなく、どこか苦しみを感じながら生きているのかもしれません。
そして、そんな人たちの苦しみを癒やすものこそが『道徳』なのだと言っているのです。
人間一人一人の正義感が自分を苦しめているのですが、自分を救ってくれるのもまたその『正義』という名の『道徳』なのだと教えてくれているような気がします。
ちなみに『道徳』とは、”社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと”という意味を持つ言葉です。
続く1番A’メロの歌詞。
雁字搦めの毎日
「触れた肌も私を嫌うんじゃないか」
「疑いを覚えた」
雁字搦め(がんじがらめ)とは、”縄や紐などを、上下左右から幾重にもまきからめ(て動けないようにす)ること”という意味の言葉になります。
この曲の主人公である空腹勇者は、自分が信じる正義という名の道徳観に縛られて、何一つ思い通りにならない毎日を過ごしているのです。
その後続く<触れた肌も私を嫌うんじゃないか>とか<疑いを覚えた>という言葉からは、周りのモノ全てが自分の敵のように感じらている状態であることが想像できます。
この世の全てに疑いの目を持ち始めてしまうと、やがてどうにもこうにも身動きを取れない状態になってしまうのです。
時に人の道徳観は、必要以上に人を苦しめる凶器になってしまうのだと思います。
その後Bメロの歌詞が続きます。
盛り付けられた
彩りに溢れた
それは華の様な日々だった
直前のA’メロ部分の歌詞ではかなり絶望的な言葉が並べられていましたが、ここではうってかわって前向きすぎるほどの言葉が歌われます。
おそらくここで歌われているのは過去の自分についてであり、今でこそ自分の『道徳感』によって雁字搦めになってしまった主人公ですが、これまでの人生に<彩り>や<華>を作り出してくれていたのもまた、自分の『道徳観』だったようなのです。
自分なりの『道徳観』や『人生観』が揺るぎないものである間は、人の心は安定し彩り豊かな毎日を送ることが出来るのですが、それは脆く危うく、ふとした瞬間に崩れ落ちてしまうものなのかもしれません。
そんなことをこのパートでは教えてくれているような気がします。
そして1番サビの歌詞がこちら。
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよ わかっては居るけど
“生き抜くには傷を付けなければ”なの?
どうか「道徳」を 今
さぁ お食べ
ここで歌われる<こんな世界>とは、A’メロで歌われたような雁字搦めの毎日を突きつけてくる世の中のことだと思います。
主人公がそんな世の中を憎めずにいるのは、Bメロで歌われたような彩り豊かな世界を知っているからなのではないでしょうか。
確固たる道徳観や人生観を持つ人生が素晴らしいものであることを理解しているからこそ、簡単にそんな人生を否定することはできないのです。
しかしそれは諸刃の剣でもあり、その道徳観に反するものに遭遇した時に人は何かを犠牲にしなければなりません。
主人公の中には”誰一人傷つけること無く生きる”という道徳観が刻まれているのかもしれませんが、それを突き通して生き抜くことはおそらく不可能なのだと思います。
そして、そんな現実を突きつけられたときに人は悩み苦しむのですが、そんなときこそ新しい『道徳感』を取り入れるタイミングなのだと歌われるのです。
それは自分の『道徳観』を”磨く”タイミングとも言えるかもしれません。
1番の歌詞では、確固たる道徳観や人生観を持つことの素晴らしさを説いた上で、時にはその道徳観を磨く必要性があるのだということを教えてくれているように感じられました。
2番:歌詞の意味
まずは冒頭Aメロ部分の歌詞。
不景気現世の不条理
皆が惑わされる正体は
実は狼狽の魔術
ここで歌われる<狼狽>とは、”思わぬ出来事に出会い、うろたえ騒ぐこと。あわてふためくこと。”という意味を持つ言葉です。
それを踏まえて考察すると、人が不景気な世の中に絶望したり理不尽な世の中に失望したりするのは、その時々の感情に振り回され過ぎているからだと言われているように感じます。
もし絶望的な状況を事前に予測することができたなら、人が何かに惑わされて絶望するようなことはなくなるのかもしれません。
続く2番A’メロの歌詞。
壊されちゃったかい? 誰かに。
裏切られちゃったかい? 愛に
生きるとはなんだ
「見返りを覚えた」
ここで歌われる”誰かに壊されたもの”というのは、自分の『道徳観』なのだと思います。
誰かに裏切られたときや、予想もしていなかった出来事に遭遇したとき、それまで自分が大切にしていた信念が打ちひしがれることがありますが、そんなときに人は、人生の意味を自分自身に問いかけるのです。
生きるとはどういうことなのか、どうすればより良く生きられるのかと、頭をフル回転させて考えるのだと思います。
そしてこの曲の主人公は、そんな出来事を通じて「見返り」を求めることを覚えたのです。
これまでは見返りなど気にすることなく生きてきた主人公でしたが、そのままではこの世界を生き抜くことができないということを悟ったのかもしれません。
その後2番Bメロの歌詞が続きます。
意味付けられた
彩りが薄れた
どれが正しいのか教えて
直前A’メロ部分で「見返り」を求めることを覚えた主人公は、より良い人生を手に入れたように思えたのですが、そう簡単にはいかなかったようです。
<意味付けられた>と歌われるように、見返りを求め始めた瞬間に、全ての行動に”意味”を求めてしまうようになったのかもしれません。
〇〇のためにこれをする。
〇〇だからこうする。
そうやって全ての行動において意味付けを強いられてしまったのです。
その結果、これまで彩り豊かだったこの世界がたちまち質素な世界へと様変わりしてしまったのだと思います。
無欲に生きれば搾取され、欲を出せば豊かさを失うこの世界をどう生きればよいのか、主人公は迷い苦しむのです。
そして2番サビの歌詞がこちら。
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよ わかっては居るけど
生き抜くには満ち足りすぎているの。
「愛」と呼べる本物を
さぁ 探せ
どうしても満足に気持ちよく生きていくことができない世の中ですが、1番サビの歌詞と同様に、主人公がすぐさまそんな世界を否定することはありません。
より良い人生を求めようとする主人公の姿勢は変わっていないのです。
しかし同時に、豊かさを手に入れることが困難な道のりであることにも気付いています。そしてその道を険しくしているものとは、この世界に溢れかえる娯楽なのです。
娯楽は人の心を満たしているように見えるのですが、実際は人の心を一時的に癒やしてくれる見せかけの応急処置に過ぎません。
その娯楽が容易に手に入る今、人々は真の豊かさを忘れてしまっているのですが、本来人の心に真の豊かさを与えてくれるものは『愛』なのだということが歌われているのです。
そんな『愛』を今こそ探すときなのだと、聴く人に訴えかけてくれているのだと思います。
その後Cメロの歌詞が続きます。
瞳で触れれた幸せも
形を失うでしょう
避けられない事でしょう
「壊れた。」
それでもまたなにかを信じたいな
光と云うには 程遠いが
目で見て感じた幸せな記憶も、少しずつ時間が経つにつれて鮮明さを少しずつ失っていきますが、その事実に歯向かうことはほぼ不可能だと思います。
それと同じ様に、自分が大切にしていた人生観や道徳観が少しも揺らぐこと無く、この世界を生き抜いていくことは不可能なことなのだと歌われているのです。
それは即ち、人はそんなに強い生き物ではなく脆く儚く弱いということであり、その中でも何かを信じて生き抜かなければならないということなのかもしれません。
そしてラスサビの歌詞がこちら。
こんな世界でずっと、生きてゆこうと思うんだ
温かいモノを忘れないこと。
すれ違う思い 泣き合えた「青春」も
そうか。「道徳の果実」を食べて
どうか どうか諦めず
さぁ 笑え
さぁ はじめてみて
ここまでのパートで歌われてきたように、この世界は簡単に生き抜けるほど楽な世の中ではないのですが、それでも主人公はこの世界から逃げたいとは思いません。
こんな世の中であっても、前向きに生き抜いていこうと決めているのです。
そのためには『愛』を持って生きること。そして自分自身と向き合い続けることが大切になりますが、きっとこれまでの主人公はそれが実践できていなかったのだと思います。
そして、<すれ違う思い 泣き合えた「青春」も そうか。>という歌詞からも分かるように、遂に大人になった主人公は過去の失敗の訳に納得したのです。
だからこそこれからは、常に自分自身と向き合い、自分の人生観や道徳観を磨き続けていこうと決意すると同時に、そうすればこの世界でも生き抜いていけるという確信もあるのかもしれません。
そして最後は、この曲を聴く全ての人に<さぁ笑え さぁはじめてみて>と語りかけるようにして楽曲が締めくくられていきます。
沢山の人の人生や価値観に触れて、自分なりの哲学を磨いて生きていこう。
きっとそれがこの曲のメッセージなのだと思います。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『道徳と皿』を聴いてみて下さい!
この世界を幸せに生き抜くヒントが隠されているかもしれません。
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