Official髭男dism(ヒゲダン)『アポトーシス』の歌詞とその意味&魅力について解説していきます。
この曲は、3rdフルアルバム『Editorial』の2曲目リード曲として収録された楽曲。
作詞作曲を手掛けたボーカルの藤原さんが、1年以上かけて制作したというこの曲『アポトーシス』は、藤原さんの死生観が描かれた超大作となっています。
“死”と真っ直ぐに向き合うことで生まれたこの曲には、一体どんなメッセージが隠されているのでしょうか。順を追って、1つづつ丁寧に紐解いていきたいと思います。
Official髭男dism(ヒゲダン)公式Instagramの投稿から。
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後半ではこの楽曲の意味などについて詳しく書いているので、是非最後まで目を通してみてください!
それでは早速『アポトーシス』の歌詞紹介から書いていきます。
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
動画解説:『アポトーシス』歌詞考察してみた
このブログの内容は下記の動画でも解説中!
Official髭男dism『アポトーシス』歌詞
歌手:Official髭男dism
作詞:藤原聡
作曲:藤原聡
収録:3rdフルアルバム『Editorial』
発売日:2021年8月18日(水)
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
こんな話をそろそろ
しなくちゃならないほど素敵になったね
恐るるに足る将来に
あんまりひどく怯えないでダーリン
そう言った私の方こそ
怖くてたまらないけど
さよならはいつしか
確実に近づく
落ち葉も空と向き合う蝉も
私達と同じ世界を同じ様に生きたの
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
なるべく遠くへ行こうと 私達は焦る
似た者同士の街の中 空っぽ同士の胸で今
鼓動を強めて未来へとひた走る
別れの時など 目の端にも映らないように
そう言い聞かすように
いつの間にやらどこかが
絶えず痛み出しうんざりしてしまうね
ロウソクの増えたケーキも
食べ切れる量は減り続けるし
吹き消した後で包まれた
この幸せがいつか終わってしまうなんて
あんまりだって誰彼に
泣き縋りそうになるけど
さよならはいつしか 確実に近づく
校舎も駅も古びれてゆく
私達も同じことだってちゃんと分かっちゃいるよ
今宵も明かりのないリビングで
思い出と不意に出くわしやるせなさを背負い
水を飲み干しシンクに グラスが横たわる
空っぽ同士の胸の中 眠れぬ同士の部屋で今
水滴の付いた命が今日を終える
解説もないまま
次のページをめくる世界に戸惑いながら
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
焦りを薄め合うように 私達は祈る
似た者同士の街の中 空っぽ同士の腕で今
躊躇いひとつもなくあなたを抱き寄せる
別れの時まで ひと時だって愛しそびれないように
そう言い聞かすように
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
もう朝になるね
やっと少しだけ眠れそうだよ
『アポトーシス』歌詞の意味
この曲のタイトル『アポトーシス』とは生物学用語であり、”あらかじめ予定されている細胞の死”という意味を持つ言葉になります。
例えば、オタマジャクシがカエルに成長する際には、その過程で尻尾がなくなりますが(尻尾の細胞が死ぬ)、まさにその過程こそがアポトーシスの一例です。
それは成長するために必要不可欠な現象で、前向きな”死”として捉えることができます。
作詞作曲を手掛けたVo.藤原さんは、この曲について次のように語っていました。
この地球を一個の体としたら、そこに暮らす者生きる者はみんな細胞のように細かくて、必ずみんな世界が循環していく流れの中でいつかは壊れていくことが約束されている。少なくとも今は。その中で何を思い生きるのかということを描きたかった。
29歳の誕生日にふと、自分の大切な家族や友人との残された時間は、あとどれくらいあるのだろうかと考えるタイミングがあったそうです。
いつか必ず訪れる”死”というものを、少しでも楽にする言葉やメッセージはないのだろうかという思いから、この曲『アポトーシス』が生まれたのだと語られています。
公式MVの紹介
YouTube上に公開されている公式MVがこちら。
ここからは歌詞解説をしていきます。
1番:歌詞の意味
まずは冒頭Aメロ部分の歌詞から。
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
こんな話をそろそろ
しなくちゃならないほど素敵になったね
冒頭で歌われる”訪れるべき時”というのは、人生最期の日である”死ぬ日”を意味した言葉だと思います。そしてその後登場する”ダーリン”という言葉は、”最愛の人”を意味する言葉。
人間にはいつか必ず最期の日がやってきますが、平凡な毎日の中で、その日のことを意識することは少ないかもしれません。
そして、誰かとその日のことについて話し合うなんてことは更に稀なはずですが、この曲の主人公は、そんな最期の日のことについて話さなくちゃと歌うのです。
それは即ち、目の前にいる”最愛の人”が、自分にとってそれだけ大切な存在なのだということを暗に示しているのだと僕は捉えました。
大切に想える人ができたとき、人は”死”について深く考えるようになるのかもしれません。
Vo.藤原さんはこのパートを通して、そんな事実を教えてくれているのだと思います。
続く1番A’メロの歌詞。
恐るるに足る将来に
あんまりひどく怯えないでダーリン
そう言った私の方こそ
怖くてたまらないけど
主人公は大切な人に対して「死ぬことは怯えるほどのことじゃないのだ」と伝えます。
もし僕が死んでしまっても、君に悲しんでほしくないというのが主人公の気持ちなのです。
もちろんそれは、大切な人に安心してもらいたいという思いからの言葉なのですが、ここでは同時に、自分自身を安心させる言葉のようにも感じられます。
人にはそうやって伝えてみるものの、どうしても”死”の恐怖から抜け出せない自分が居る。
そんな現実に気づき、頭を悩ましている主人公の姿が描かれているのです。
そして1番Bメロの歌詞。
さよならはいつしか
確実に近づく
落ち葉も空と向き合う蝉も
私達と同じ世界を同じ様に生きたの
ここで歌われる”さよなら”という言葉も、これまでの歌詞と同様に”死”を意味するもの。
“死”への恐怖を拭い去ることができない主人公は、どうにかその恐怖を捨て去ろうともがき苦しみ考えます。
この地球上に存在する全ての生物は、生きている限り毎日少しずつ死に近づいているなと。
鮮やかな緑の葉も3ヶ月もすれば枯れて落ち葉となり、やっとの思いで土の中から出てきた蝉も、2週間もすればその命を終えるのだと。
そう考えると、少し気持ちが楽になるのではないかと。
命の期間に違いはあるものの、虫も植物も人間も誰しもが同じ宿命の中で生きているのだということを、自分自身に言い聞かせてみるのです。
1番サビの歌詞がこちら。
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
なるべく遠くへ行こうと 私達は焦る
似た者同士の街の中 空っぽ同士の胸で今
鼓動を強めて未来へとひた走る
別れの時など 目の端にも映らないように
そう言い聞かすように
冒頭で登場する”鐘が鳴る方角”という言葉も、これまでと同様に”死”を意味するものなのだと僕は捉えました。
お祭りが終わった後の静けさにはどこか寂しさや恐怖を感じますが、このパートからは主人公の”死”に対する恐怖が、未だ拭いきれていないということが伝わってきます。
だからこそ、その恐怖から逃げるようにして、とにかく長生きしようとひた走るのです。
そしてそれは主人公に限った話ではありません。この地球上にいるほとんどの人間が同じ様に、必死に今を走り続けているのです。
それは即ち「”死”を意識する暇もないほどに走り抜け」と自分自身に言い聞かせるくらいしか、恐怖から抜け出す選択肢がないということなのかもしれません。
2番:歌詞の意味
冒頭Aメロ部分の歌詞から。
いつの間にやらどこかが
絶えず痛み出しうんざりしてしまうね
ロウソクの増えたケーキも
食べ切れる量は減り続けるし
このパートで歌われているのは、歳を重ねることに対する不安や恐怖になります。
この曲を制作した当時の藤原さんは29歳。
30歳を目前にして、これまで感じたことのなかった体の不調や痛みを身を持って体感しているのかもしれません。
昔は楽しみだった自分の誕生日も、いつしか喜べなくなる日がやって来ます。
底なしの様にケーキを食べられた頃の記憶も遥か遠くに消えていき、いつしか一切れだけでもう満足!なんて日がやって来てしまうのです。
そんな現実を目の前に、うんざりとした気持ちを隠しきれない主人公の姿が、リアルな情景描写と共に描かれています。
続く2番A’メロの歌詞。
吹き消した後で包まれた
この幸せがいつか終わってしまうなんて
あんまりだって誰彼に
泣き縋りそうになるけど
このパートでも続けて、歳を重ねることに対する主人公の思いが歌われます。
今ここに居るのは、自分の誕生日を素直に喜ぶことのできない主人公。
ロウソクを吹き消した後に考えてしまうのは、あと何回こうやってお祝いができるのかということ。いつしか”終わり”を意識して生きるようになっていたのです。
幸せの日々もいつか必ず終わってしまうと考えると、切なさと虚しさがこみ上げてくる。
“死”を意識すると、楽しいはずの誕生日パーティーですら涙でいっぱいなってしまう。
それほどまでに、人間が感じている”死”に対する恐怖は強力なのかもしれません。
そして2番Bメロの歌詞。
さよならはいつしか 確実に近づく
校舎も駅も古びれてゆく
私達も同じことだってちゃんと分かっちゃいるよ
1番の歌詞の中では、人間以外の生き物として落ち葉や蝉などが登場しましたが、ここでは校舎や駅などの”モノ”が登場します。
“最期”が訪れるのは生き物だけではなく、”モノ”ですらいつかは古びて朽ちていく。
この世の中に、永遠に存続するものなどどこにもありません。
そして主人公はその事実に気づいていない訳ではないのですが、どうしてもその”最期”を受け入れることができないのだと思います。
“死”は自分にだけ訪れるものではないと分かっているのに、なぜいつまでも”死”への恐怖がなくならないのか、自分自身でも不思議で仕方ないのかもしれません。
何事にも、頭では理解していても心が受け入れてくれないことってありますよね。
2番サビの歌詞がこちら。
今宵も明かりのないリビングで
思い出と不意に出くわしやるせなさを背負い
水を飲み干しシンクに グラスが横たわる
空っぽ同士の胸の中 眠れぬ同士の部屋で今
水滴の付いた命が今日を終える
解説もないまま
次のページをめくる世界に戸惑いながら
“明かりのないリビング”というのは、いつか来るであろう”最期の日”と向き合う主人公の心情を表した言葉としても捉えられます。
それは、真っ暗闇の中をただひたすらに彷徨うような感覚に近いかもしれません。
どうにか”死”に対する恐怖を和らげようと試みてきたものの、結局何もできずに時間だけが過ぎていってしまうのです。
そこで終わればまだ良いのですが、更に追い打ちを掛けるように、昔の美しい思い出が次々と蘇ってきます。その思い出は自分の意に反して、”死”への恐怖をより大きくするのです。
そして、中盤に登場する”シンクにグラスが横たわる情景”は、まさに、”死”に対する恐怖を和らげる方法を考えに考えて力尽きてしまった主人公の姿と重なります。
もしかすると冒頭の”明かりのないリビング”という歌詞は、今まさに主人公が居る部屋の描写であって、そこで横たわる主人公の姿が、シンクに倒れているグラスに例えて歌われているのかもしれません。
そのグラスが自分の意志でどうすることもできないように、主人公もまた、何もできないまま夜が明けるのを待つしかないのです。
その後ラスサビの歌詞が続きます。
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
焦りを薄め合うように 私達は祈る
似た者同士の街の中 空っぽ同士の腕で今
躊躇いひとつもなくあなたを抱き寄せる
別れの時まで ひと時だって愛しそびれないように
そう言い聞かすように
“最期の日”への恐怖が拭えぬまま、この曲もラストに近づいてきました。
頭でどれだけ考えたとしても、振り払うことができないその恐怖を少しでも減らすために、最後は祈りに全てを託します。
“どうか一秒でも長く愛する人と一緒にいられますように”と願うのです。
そして、限りある時間の中でできるだけ愛を伝えるためだと言い聞かせながら、愛する人をそっと抱き寄せるのですが、それは結局自分自身の不安を取り除く為なのかもしれません。
それで不安が完全になくなる訳ではないのですが、その場しのぎの安心感だけでも、抱き合うことによって得ようとしているのです。
それは即ち、”死”に対する恐怖を和らげる方法など何処にもないのだ、という答えに辿り着いたことを意味しているのだと思います。
ラストはこのフレーズで終わります。
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
もう朝になるね
やっと少しだけ眠れそうだよ
“訪れるべき時”とは”別れの時”を意味する言葉であり、もしその日が来たとしても、愛する人には悲しんでほしくないのだという思いが改めて歌われます。
これまで幾度となく”死”について考えることで、不安や恐怖に襲われてきた主人公ですが、ようやくそんな暗闇の中に一筋の光が差し込んできたのかもしれません。
きっと、”死”の恐怖を無くす言葉やメッセージなど存在しないのだという結論こそが、主人公にとって束の間の安らぎになるのです。
ただ悩みもがき続けることしか出来ない中で、自分はどう生きるのか。
そんなことを考えさせられる一曲でした。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『アポトーシス』を聴いてみて下さい!
ボーカル藤原さんの死生観が真っ直ぐに歌われた名曲です。
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