Mrs. GREEN APPLE(ミセス)『アンラブレス』の歌詞とその意味について考察していきます。
この曲は、5thフルアルバム『ANTENNA』の7曲目に収録された曲。
辛さを嘆くより、まず愛そう。毒舌とユーモアを使って、自己肯定の回路をつなぎ直す。それが「アンラブレス」です。
大森くんの巧みな言葉遊びが、心に潜む矛盾を鮮やかに浮かび上がらせ、痛快さと共に響きます。
本記事では、歌詞に込められたメッセージをフレーズごとに丁寧に読み解き、楽曲全体を通じて伝わる深い意味を探っていくので、ぜひ最後までご覧ください!
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
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Mrs. GREEN APPLE『アンラブレス』歌詞
歌手:Mrs. GREEN APPLE
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
収録:5thフルアルバム『ANTENNA』
発売日:2023年7月5日(水)
馬鹿みたいだね
そんな凹んで大層ね
夜中も携帯弄ってる元気があるじゃないの
今世紀最大のミスを犯したとしても
大したことじゃ無いもの
ほら今流行りのアイブロウ
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
眠そう。余裕そう。
ツライとか デアイとか
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
アイソウよく、アイソウ。
出来るならついてきな
アンサー早いとこ聞けないと不安になるし
迷ってるくらいなら私に相応しいわけがないの
そりゃちょっぴり泣けちゃう夜もあるけど
大したことじゃ無いもの
高めのストレートアイロン
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
偉そう。青そう。
ツライですか? へツライですか?
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
学ぼう。出直そう。
出来るなら日を空けてきな
君を何で満たしてゆく?
自分を何で認めてゆく?
世界唯一の存在
そりゃ弱る時もあるけど
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
きっと、きっと
気付いてないんだ 気付けないんだ
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
愛そう。ただ愛そう。
出来るかな? ムズイから。
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
偉そう。余裕そう。
ツライとか デアイとか
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
愛そう。よく愛そう。
出来るならついてきな
底なしのコップの様に
何を注いでも抜ける 皮肉の様に
我々はまともな様に
必死こいて繕う
矛盾のストーリー
『アンラブレス』歌詞の意味&楽曲背景
タイトルの『アンラブレス』とは、Loveless(愛がない)に、さらに否定の接頭「Un-」が重なった言葉。直訳すると”愛がないわけではない”という意味です。
そのタイトルが示すように、この曲は”愛の欠乏”を出発点にしています。しかし、ただ嘆くのではなく、皮肉や自嘲をうまく使いながら、そこから実践としての愛へと反転させていく楽曲です。
落ち込んだまま立ち止まるのではなく、まずは小さくてもいいから「愛想よく」ふるまってみる。そして同時に、自分から「愛そう」と決める。そんなステップが大森くんの言葉で語られていきます。
アルバム『ANTENNA』の中でも、この曲は特に、ユーモアと倫理がもっとも鋭く噛み合った一曲だと感じられます。
公式音源の紹介
公開されている公式音源がこちら。
ここからはフレーズごとに歌詞考察をしていきます。
1番:歌詞の意味
1番Aメロの歌詞。
馬鹿みたいだね
そんな凹んで大層ね
夜中も携帯弄ってる元気があるじゃないの
今世紀最大のミスを犯したとしても
大したことじゃ無いもの
ほら今流行りのアイブロウ
この部分は、「ツン」としたキャラが登場する場面の始まりです。
最初の「馬鹿みたいだね」というセリフは、一見すると相手を突き放しているように見えますが、実は親しい関係の中でしか使えない、甘えを含んだ軽い悪口。これによって、相手の警戒心をゆるめて、距離を縮めようとしている気がします。
次の「凹んで大層ね」の「ね」という語尾は、断定ではなく「あなたもそう思ってるでしょ?」という共感を装った表現です。この一言で、からかいと共感が同時に生まれ、話し手が「辛口だけど、見捨てない人」というキャラクターとして一気に立ち上がります。
「夜中も携帯弄ってる(スマホいじってる)」という描写は、現代的な孤独の象徴ではないでしょうか。夜中にスマホを見ている姿は、一見他者と繋がっているようで、実は自分の内側にこもっていく行為でもあります。スマホの画面は他人からの承認を得る手段にもなりますが、その安心感は一時的で、不安を長引かせる原因にもなるもの。
ここで語り手は「元気があるじゃないの」と、少し皮肉を込めつつも励ましの言葉をかけます。これは「その不安に使ってるエネルギーを、行動に変えられるよ」という前向きな視点の提示でもあります。
「今世紀最大のミス」という大げさな表現は、自分の失敗を笑いに変える工夫ではないでしょうか。深刻に悩むより、「そんなに大したことないよ」と笑ってみせることで、心の重さを軽くする効果があります。
そして決定打が「ほら今流行りのアイブロウ(眉)」というセリフ。ここで急に出てくるコスメの話題は、外見を整えることをポジティブに捉え直しています。眉は感情を表す顔のパーツであり、眉を描くことは「気分を整えるための行動」として描かれているのではないでしょうか。
「アイブロウ」は、後に続く「アイソウ(愛想/愛そう)」「アイロン(ストレート)」とつながる”アイ◯◯”シリーズの最初のワードです。この言葉のリズムの連なりが、「見た目→態度→気持ち」と、内面を整えていく流れを作っています。
そして1番サビの歌詞。
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
眠そう。余裕そう。
ツライとか デアイとか
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
アイソウよく、アイソウ。
出来るならついてきな
ここからは、”デレ”をまとった、ちょっと実践的なアドバイスのパート。
「嘆く暇」という表現には、時間の感覚が含まれています。つまり、ただ感情に浸っている時間のことです。そうやって”感情が停滞している時間”を見える化しているのです。
続く「眠そう。余裕そう。」という短く区切られた言葉たちは、テンポよく畳みかけるように続いています。これはSNSでよく見る「短く、はっきりした言い切り」に似ていて、今っぽいスピード感のある言葉づかい。大森くんの歌詞ならではの巧みな表現だと感じました。
そして「ツライとか デアイとか」の「とか」は、”愚痴を並べるときの口調”を表しているのではないでしょうか。どんなに深刻に思える悩みでも、「とか」でつなげることで軽く見せることができてしまいます。
そして「デアイ」をカタカナにしているのもポイント。これによって、「出会い」が恋愛感情の話というよりも、”マッチングアプリ”や”仕組み”のような少し客観的なものに見えてきます。語り手は「運命」から一歩距離を置き、自分で行動できる範囲へと視点を引き戻しているのではないでしょうか。
決めセリフの「アイソウよく、アイソウ。」はこの曲の核心。「愛想よく」は外向きな態度を指し、「愛そう」は内向きな気持ちのこと。同じ音で違う意味を重ねることで、人付き合いの技術(スキル)と、自分の中の倫理や思いやり(モラル)を一つにしています。
たとえ最初は表面的な行動に見えても、繰り返すうちにその行動が気持ちに影響してくる。つまり「まずやってみる」ことで「心があとからついてくる」という、実践的で前向きな考え方がここにあるように感じました。
最後の「ついてきな」は、優しさを含んだ命令形。ただの気合や精神論ではなく、「一緒に行こうよ」という、寄り添う姿勢への切り替えなのだと思います。
2番:歌詞の意味
2番Aメロの歌詞。
アンサー早いとこ聞けないと不安になるし
迷ってるくらいなら私に相応しいわけがないの
そりゃちょっぴり泣けちゃう夜もあるけど
大したことじゃ無いもの
高めのストレートアイロン
このパートでは、現代の「即レス(すぐ返信する)」文化への批判が込められています。
「アンサー早いとこ(早く返事して)」という言葉が示しているのは、待てなくなっている自分の姿だと思います。既読マークやオンライン状態、スマホの通知に振り回されて、つい不安になってしまう。それは本当の不安というより、「通知に反応するクセ=条件反射」なのだと、語り手は見抜いているのです。
続く「迷ってるくらいなら私に相応しいわけがない」というセリフは、強気でキツく聞こえるかもしれませんが、実は「自分の境界線」をはっきりさせる言葉ではないでしょうか。誰かの迷いやはっきりしない態度に巻き込まれないようにするための、現実的で大切なスキルだと思います。
そして、「ちょっぴり泣けちゃう夜」というフレーズが挟まれることで、語り手がただ強がっているわけではなく、自分の弱さも受け入れていることが伝わります。「強くあれ」と押しつけず、時には泣いてしまってもいいという姿勢があるからこそ、前の強い言葉にも共感が持てるんです。
そこに続くのが「高めのストレートアイロン」。ここには2つの意味が重なっているのではないでしょうか。
1つ目は道具としてのストレートアイロン。髪をまっすぐに整えるための器具。使うには手順があって、時間もかかるし、効果も目に見える。つまり、「整えること=段階を踏むこと」という現実的な行動の象徴です。
2つ目は態度としてのストレート(まっすぐ)さ。温度を高めにして髪を真っ直ぐにするように、心の温度(意思)も上げて自分に対してストレートであれ、と読めそうです。
ここで「整える」という行為が、見せかけではなく”自分の内側を整える儀式”として描かれているのが秀逸だなと感じました。
2番サビの歌詞。
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
偉そう。青そう。
ツライですか? へツライですか?
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
学ぼう。出直そう。
出来るなら日を空けてきな
この部分では、「自分をどう見るか」という自己認識が、とても鋭く描かれています。
まず「偉そう。青そう。」という言葉には、「そう」という語尾が二重の意味を持っているように感じます。一つは「そう見える」という外からの印象、もう一つは「そうかもしれない」という内面への疑いです。「大人ぶってるけど、実はまだ未熟(青い)かも」と、背伸びしている自分や他人をチクリと刺すような表現ではないでしょうか。
次に出てくる「ツライですか? へツライですか?」は非常に印象的なフレーズ。
ここでは、単に自分のつらさを訴えることと、誰かに気に入られたくて自分を偽ること(へつらい)を並べて見せています。どちらも「自分の感情や行動の舵を、他人に渡してしまっている」という点で共通していて、語り手はそれを見抜いて、「本当にそれでいいの?」と問いかけているのではないでしょうか。
そして「学ぼう。出直そう。」という言葉が続きますが、ここで精神論ではなく、「知識やスキルを身につけること」にシフトします。「落ち込んでいるより、行動した方が前に進めるよ」という、前向きで現実的なアドバイスが改めてなされます。
最後の「日を空けてきな」という一言も重要だと思います。これは、「いったん時間を置いて、感情が落ち着くのを待とう」という提案。感情に流されそうなときには、少し距離を取ることが回復につながると伝えているように聞こえました。
ここで初めて、「回復には時間がかかる」という現実的な視点が登場します。これまでの即効性(今すぐ何かをやる)と、ここでの持続性(時間も必要)が組み合わさることで、全体のバランスが取れてくるのです。
その後Cメロの歌詞が続きます。
君を何で満たしてゆく?
自分を何で認めてゆく?
世界唯一の存在
そりゃ弱る時もあるけど
このパートでは、語り口が「問いかけ」の形に変わります。
これまでのサビでは、「外向きのふるまい(=愛想)」と「内向きの意志(=愛そう)」という両面を描いてきましたが、Cメロではさらに深く、”自分の価値をどう決めるか”というテーマに踏み込んでいきます。
特に注目したいのは、「で」という助詞の使い方です。
「何で満たす?」「何で認める?」という問いは、「どんな方法(手段)や基準(尺度)で、自分を満たしたり認めたりするのか?」という問いかけになっています。
つまり、「他人の評価や”いいね”のような、流動的で変わりやすいもので自分を満たすのか」、それとも、「努力、創造、貢献といった、自分の中にある基準で自分を認めるのか」。
そういった”価値の設計”を考えさせる内容になっているのだと感じました。
ここで大事なのは、答えを一つに決めていないこと。なぜなら、それは人によって違っていいからかもしれません。だからこそこの曲は「こうすべき」と押しつけるのではなく、「どう設計するか」という”視点”をそっと差し出してくれているのではないでしょうか。
「世界唯一の存在」という言葉は、一見するとありがちな自己啓発フレーズのようにも見えます。しかし、ここでは前の問いを受けたうえで出てくるからこそ、「自分だけの価値基準を育てていこう」という意味を持つのではないでしょうか。
さらに「弱る時もある」という言葉が入ることで、「いつも強くいなくていい」という、自分を許す視点も加わり、ここでようやく、「優しい現実主義」が完成します。
自分の価値は自分で設計していい。
でも、疲れたときは休んでいい。
そんな優しくて、現実的な考え方へとたどり着くのです。
そしてラスサビ前半の歌詞。
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
きっと、きっと
気付いてないんだ 気付けないんだ
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
愛そう。ただ愛そう。
出来るかな? ムズイから。
このパートでは、「気付いてない」「気付けない」という言葉の違いに注目したいです。
「〜てない」は、ただ気づいていない=無自覚を表し、「〜けない」は、気づこうとしてもできない=スキルや経験が足りないことを意味しています。
この差からわかるのは、「気づく力」は、生まれつきのものではなくて、練習やトレーニングで育てられるという前向きな考え方です。つまり、ここで語られているのは「気合でなんとかしろ」という話ではなくて、認知スキル(物の見方や感じ方)を鍛えるという考え方にシフトしているのだと思います。
そのあとの「愛そう。ただ愛そう。」というフレーズは、とてもシンプル。しかし、そのシンプルさが逆にとても強いメッセージになっています。
ポイントは、「何を愛そう?」とは言っていないこと。自分を愛してもいいし、誰かを愛してもいいし、日々の何気ないことを大切にすることかもしれません。その解釈は、聴いている人に委ねられているのです。
シンプルな言葉だからこそ、すぐにでもやってみようと思えるし、どんな人にもフィットする自由さがあります。
最後の「出来るかな? ムズイから。」という一言がまた、とても優しい。「難しい」と口にしてよいのだ、という許可をくれているように感じました。この言葉のおかげで、「失敗しても大丈夫」「完璧じゃなくていい」という安心感が生まれます。
つまりこの曲は、「実行してみること自体に意味がある」と伝えていて、そのためのゆとりや遊びをしっかり持っている。だからこそ、聴く人にとって長く寄り添ってくれる曲になるのではないでしょうか。
ラスサビ後半の歌詞。
愛されたいんだと嘆く暇があるのって
偉そう。余裕そう。
ツライとか デアイとか
ああだこうだと叫ぶ暇があるなら
愛そう。よく愛そう。
出来るならついてきな
ここは繰り返しのパートですが、まったく同じことを言っているわけではありません。ほんの少しの変化が、大事な意味の更新を生んでいます。
「よく愛そう」の「よく」に注目してください。これは「たくさん」ではなく、「上手に、丁寧に」といった”質”に重きを置いた副詞です。ここで言う”愛する”とは、相手を自分の思い通りにしようとすることではなく、自分自身も相手も大切にしながら、バランスの取れた、成熟した愛し方を目指そうというメッセージに変わっています。
つまり、「ただ愛そう」から「よく愛そう」へという変化は、「自分なりに、よりよい関係の築き方を探していこう」という方向づけではないでしょうか。
また、これまでの流れでは「外側の態度(愛想)」から「内側の意志(愛そう)」へと進んできましたが、ここではそのふたつが一つに統合されます。
「よく」という一語が、技術(=人とうまく関わる力)と倫理(=相手を思いやる気持ち)の両方をつなぐ潤滑油のような役割を果たしているように感じました。
そして、再び登場する「ついてきな」という言葉も、前とは響きが違って聞こえます。最初は少し命令的で「上から目線」にも思えたかもしれませんが、ここでは一緒に歩こうとする伴走者の声になっています。
命令形でありながら、そこに優しさと共に歩む姿勢が込められている。この矛盾するような感触が、曲全体に独特の温度を与えているのではないでしょうか。
最後はこのアウトロで終わります。
底なしのコップの様に
何を注いでも抜ける 皮肉の様に
我々はまともな様に
必死こいて繕う
矛盾のストーリー
このパートは、比喩の使い方が曲全体の中でも特に鋭く、深い意味を持っているように感じます。
「底なしのコップ」という表現は、どれだけ人からの愛や承認をもらっても、自分の中が満たされないという状態を、とてもわかりやすく描いています。
ここでのポイントは、「もっと愛されれば解決する」という考えではなく、「自分の心の底が抜けていないか?」に目を向ける発想の転換ではないでしょうか。つまり、必要なのは「たくさん注がれること」ではなく、「注がれてもちゃんと溜まる器=心の土台を整えること」なのだと思います。
この視点は、曲全体を通して貫かれているテーマでもあります。
外からの愛に頼るだけでは、本当の意味で自分を満たすことはできません。だからこそ、自分の中にある「自尊心」や「安心感」の土台を築く必要がある。これが、この曲が描く「アンラブレス(愛の欠乏状態)」の核心だと思います。
続く「皮肉の様に」という言葉も光ります。「満たそう」と頑張るほど、かえって虚しさが増すという逆説的な感覚を、たった一言で表現しているのだと感じました。
さらに、ここで主語が「我々」になります。これは、「こういう不安定さは、自分だけじゃない」と示すことで、個人の弱さではなく、人間に共通する構造なんだよと伝えているのではないでしょうか。
この視点があるからこそ、恥や孤独ではなく、分かち合える理解に変わるのです。
「まともな様に」「必死こいて繕う」という言葉は、「本当の自分じゃないけど、ちゃんとしてるように見せようとしてる」=演じている自覚を表しています。
ここで大事なのは、「繕うこと自体が悪い」と言っているわけではないこと。むしろ、「どうせ繕うなら、その方向を心の底の補修に向けよう」と、建設的な方向転換をすすめているのだと思います。
そして最後の「矛盾のストーリー」。この言葉は、「矛盾をなくす」のではなく、「矛盾も含めて、生きる物語にしていこう」という宣言だと思います。
夢を見ながらも、足元を見失わずに生きていく。その姿勢が、この曲の最後で強く語られているのです。
ぜひ歌詞の意味にも注目しながら、この曲『アンラブレス』を聴いてみて下さい!
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