緑黄色社会(リョクシャカ)『サボテン』の歌詞とその意味&魅力について解説していきます。
3rdミニアルバム『溢れた水の行方』の4曲目に収録された一曲です。
恋愛をサボテンに重ねて描いた楽曲になります。
一見育てやすそうに見えて、水(愛)をやりすぎてもやらなすぎても枯れてしまうんです。
緑黄色社会公式インスタグラムに投稿されたオフショット。
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後半ではこの楽曲の意味などについて詳しく書いているので、是非最後まで目を通してみてください!
それでは早速『サボテン』の歌詞紹介から書いていきます。
あくまで筆者自身が解釈したものになるので、一つの参考として受け取っていただけると幸いです。
緑黄色社会『サボテン』歌詞
歌手:緑黄色社会
作詞:長屋晴子
作曲:長屋晴子
収録:3rdミニアルバム『溢れた水の行方』
発売日:2018年11月7日(水)
ごめんね
私はサボテンさえ上手く育てられずに
やりすぎた水が溢れていったよ
ごめんね
今さら気付いたって元には戻らない
謝ることしかできなくなったよ
水だけあげてりゃいいなんて
間に受けてたらこうなった
愛には加減があるなんて
誰も教えてはくれなかったのに
溺れて枯れた窓際の愛は
間違っていたのかな
花が咲くのが見たかったから
良かれと思ってた
ただただ私は私なりに育てました
ただただ私は私なりに愛を注いだの
ごめんね
私は大丈夫と関係ないふりして
いらない自信が溢れていったよ
こんなに
変わってしまうなんて
私の都合のいい頭では
きっと分からなかったよ
独りよがりでもいいなんて
どうして思えていたの
やっと解決したくなって
調べた結果に悲しくなった
溺れて枯れた窓際の愛が
教えてくれたかな
知らない間にすれ違っていた
愛の育て方
ただただ私はあなたの喜ぶ顔が
ただただ私はあなただけに愛を注いだの
花が咲いたら私の愛は
報われるのかな
諦めきれない意地の強さを
心の強さに変えたい
溺れて枯れた窓際の愛は
間違っていなかった
丁度良さなんて分かっていても
愛は止まらなかった
必ず無駄にはしないよ枯れたサボテン
いつかいつか私の愛の花を咲かせよう
『サボテン』歌詞の意味
この曲『サボテン』は、一途な恋愛に対して”重い”と表現されたときに感じた違和感をテーマに描かれた作品です。
それは相手に真剣に向き合っているからこそであり、純粋に愛を注いでいるだけであり、それを一言のネガティブな言葉で片付けて欲しくはないという思いが込められています。
水をあげすぎると枯れてしまうサボテンのように、愛を注ぎすぎても上手くいかない恋愛。
溢れてしまってもそれは間違ったことじゃないと思う、そんな力強いメッセージが込められた楽曲です。
公式音源の紹介
公開されている『サボテン』の公式音源がこちら。
Vo.長屋曰く、『暮らしに寄り添った音』をテーマにアレンジされた楽曲だそうです。
すっと頭の中に入ってくるメロディと力強い歌声、そして歌詞に込められたメッセージが絶妙にシナジーを生んでいます。
いつまでも繰り返し聴いてしまうような、そんな優しい音楽になっています。
ここからは歌詞解説をしていきます。
1番:歌詞の意味
まずは冒頭Aメロ部分の歌詞から。
ごめんね
私はサボテンさえ上手く育てられずに
やりすぎた水が溢れていったよ
ごめんね
今さら気付いたって元には戻らない
謝ることしかできなくなったよ
“ごめんね”というのは枯れてしまったサボテンへの言葉。
それは“重い”と思わせてしまった恋愛相手への言葉でもあります。
“やりすぎた水“というのは相手に注ぎすぎた”愛”のこと。
一般的にはやりすぎと思われるほどの愛だったのかもしれません。
主人公は純粋に相手へ向けていた”愛”だったけれど、その与えすぎた愛は受け入れられることなくネガティブに捉えられてしまったようです。
主人公は”重い”と思われていることに後になって気づきます。
しかしそれは関係が崩れてしまった後。
もう、元のようには戻れなくなってしまったようです。
続くBメロ部分の歌詞。
水だけあげてりゃいいなんて
間に受けてたらこうなった
愛には加減があるなんて
誰も教えてはくれなかったのに
“愛”はただ注げば良い単純なものではないのかもしれないという、主人公にとっては衝撃的な事実に気づくことになります。
サボテンに水をやりすぎると枯れてしまうのと同じように、”愛”もやりすぎると枯れてしまうのです。
それは誰も教えてくれないことでした。
実際に体験して初めて気付きました。
そしてサビ部分の歌詞がこちら。
溺れて枯れた窓際の愛は
間違っていたのかな
花が咲くのが見たかったから
良かれと思ってた
ただただ私は私なりに育てました
ただただ私は私なりに愛を注いだの
愛を注ぎすぎて”重い”と思われてしまった恋愛。
それが間違っていたことなのか、正解が分からなくなってしまいます。
注ぎすぎた”愛”は主人公にとっては、本気で相手に向き合っていたからこそのもの。
純粋な思いを素直に表現していただけだったんです。
良かれと思ってしたことが、こんな結果を招くとは想像もしていなかった。
最後の2文は、主人公の中で生まれた違和感を表現したフレーズになります。
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2番:歌詞の意味
まずはAメロから。
ごめんね
私は大丈夫と関係ないふりして
いらない自信が溢れていったよ
こんなに
変わってしまうなんて
私の都合のいい頭では
きっと分からなかったよ
“私は大丈夫“というのは自分だけの満足感を表現した言葉。
愛を注いでいる自分自身に満足して、相手の気持ちを考えずに自分だけ気持ちが先走る。
愛を注いでいれば大丈夫だと、本気で思っていたんです。
しかしそうやって前のめりになっていると、いつしか上手くいかなくなるという事実。
その時の私の頭では、そんなこと分からなかった。
続くBメロの歌詞。
独りよがりでもいいなんて
どうして思えていたの
やっと解決したくなって
調べた結果に悲しくなった
実際に体験してみてようやく気付いた事実。
“愛”は注げるだけ注いだ方が良いと思っていた主人公は、なぜ”重い”と言われてしまうのかが全く分かりませんでした。
ただ、その理由が知りたい。
ようやく自分と向き合うようになります。
そして、自分のしていたことがただの独りよがりだったことに気付くのです。
そんな事実にショックを受けてしまいます。
そしてサビの歌詞がこちら。
溺れて枯れた窓際の愛が
教えてくれたかな
知らない間にすれ違っていた
愛の育て方
ただただ私はあなたの喜ぶ顔が
ただただ私はあなただけに愛を注いだの
“溺れて枯れた窓際の愛“というのは、”上手くいかなかった恋人との愛“をサボテンに見立てて表現した言葉。
この経験を通して主人公は”愛”の育て方を学びます。
“愛”って繊細。
恋人だから、家族だから、そこに必ず愛があるわけでもない。
“愛”は大事に大事に育てないといけないものだったのです。
それでも主人公が注いだ”愛”は本物。
その気持ちに嘘はなかったんですよね。
ラスサビ前のCメロ部分。
花が咲いたら私の愛は
報われるのかな
諦めきれない意地の強さを
心の強さに変えたい
“花が咲く“というのは”恋愛のゴール“のこと。
そのゴールは人それぞれ違うかもしれませんが、一人一人が考えるゴールに到達した時にようやく、それまでの行動が正解になるのかもしれません。
たとえ”重い”と思われても、好きな気持ちは変わらない。
その諦めの悪さを自分の原動力にしてリベンジしたいという、力強い決意が感じられます。
そしてラストはこの歌詞。
溺れて枯れた窓際の愛は
間違っていなかった
丁度良さなんて分かっていても
愛は止まらなかった
必ず無駄にはしないよ枯れたサボテン
いつかいつか私の愛の花を咲かせよう
最後はやっぱり自分の気持ちを大切にしたい主人公の言葉で終わります。
相手にとっての丁度良い愛の量がたとえ分かったとしても、そこで止めるなんて出来ないんです。
心から好きだから、その気持ちはしっかりと届けたい。
だから”重い”なんて言わないでほしい。
我慢するのではなく、いつか自分らしい愛情表現で花を咲かせてやるんだという決意。
そんな主人公の気持ちで締めくくられる歌です。
“愛”って複雑で難しい。
でも素晴らしいもの。
自分らしさを大切に、じっくり育てよう。
歌詞の意味を読み解くと、より強く心に響く楽曲になったのではないでしょうか。
ぜひ『サボテン』を聴いて、緑黄色社会の世界観に触れてみてください!
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