エッセイ

僕は三日坊主を脱却した日、大切なコトに気がついた。

僕は三日坊主を脱却した日、大切なコトに気がついた。

三日坊主。

そんな自分に嫌気が差していた。

昔から僕は、何も続かない人間だった。

学生時代に何かをやり遂げた経験はほとんどない。何もかもが中途半端で「だらしない大人になるのでは?」と親や先生からは本気で心配されていた。

 

しかし、今の僕の強みは【継続力】なのだ。

もし「あなたの強みを教えて下さい」と聞かれれば、迷わず「継続力です」と答える。

 

一見おかしな話だが、どうやって僕が継続力を手に入れたのか、その結果人生がどう変化したのかを書き記したいと思う。

 

“あるもの”のお陰

結論から言えば、継続力を手に入れたことで僕の人生は好転した。

正しくは、継続力を手にする過程で得られた”あるもの”のお陰で人生が好転したのだ。

日々辛いことや苦しいことはもちろんあるが、心を乱されることが少なくなった。

 

偶然の産物

実は僕は継続力を意識的に手に入れた訳ではない。

気付けば継続することが得意になっていたのだが、そこには明確な理由があった。

過去を振り返ることでその理由は明らかになったのだ。

 

過去

謎を解き明かすべく、僕は人生を振り返ることにした。

昔の自分は何が好きで何が嫌いだったのか。

何をしていて、何を感じたり考えたりしていたのか。

真っ直ぐ自分と向き合って深く探ることにしたのだ。

 

その結果、僕はカッコつけで、負けず嫌いだったことに気が付く。

まだそれだけなら可愛いものだが、その上見栄っ張りだったのだ。

当時の僕は、カッコよくいるために努力する訳でも、負けないように努力する訳でもなく、ダサい自分をカモフラージュするタイプ。

そんな自分がいた。

 

では、今の自分はどんな人間だろうか。

きっと心の奥底には過去の自分が眠っているはずだが、カッコつけたり勝つことにこだわったりする自分はほとんど居ない。

むしろカッコつけることに疲れ、全てに勝つことが不可能なことを悟った自分が居る。

 

変化

過去と今、客観的に見ればどちらも良い人間であり悪い人間でもあると思う。

人の善し悪しなんて本人以外には判断することができない。

しかし自分の主観で見れば、今が圧倒的に幸せだと感じるのだ。

 

違い

過去と今の決定的な違いは『期待感』だった。

それは自分に対する期待である。

過去の自分は自分に過度な期待をしていた。

「自分はいつ何時もカッコいい人間でいられるはずだ」

「何だって人より上手く出来るはずだ」

そんな期待と現実のギャップを受け入れられず、許すことができなかったのだと思う。

その結果、現実から逃げて自分を取り繕うことに必死になるのだ。

 

しかし今の自分は、誤解を恐れずに言うと自分自身に期待をしていない。(なぜ自分に期待をしなくなったのかは改めて書き記そうと思う)

それは絶望とも言えるかもしれないが、僕にとってはむしろ幸せだった。

 

なぜなら無理に頑張らなくても良いからだ。

頑張らなくても良いことに気が付くと、心と身体が一気に軽くなる。

 

好転

心の余裕は言葉や行動に分かりやすく現れた。

笑顔が増えて活動的になる。

なによりも前向きな思考を授けてくれた。

そして不思議なことに、頑張ろうとしていた頃よりも頑張れるようになるのだ。

それが【継続力】に繋がる。

 

希望

頑張らないことが、頑張るための秘訣なのかもしれない。

頑張らないことが、やり抜く秘訣なのかもしれない。

頑張らないことが、継続力の源なのかもしれない。

 

頑張らなくても頑張れるものが見つかったときに、人は輝くのではないか。

そしてそれを見つけられるのは、ありのままの自分でいる人だけなのではないか。

ありのままの自分でいることは、きっと想像以上に大切なことなのだと思う。

 

 

僕の人生を好転させた”あるもの”とは、”ありのままの自分”だったのだ。

 

これは25歳時点の僕が辿り着いた自分なりの答えにすぎないが、これから先の未来にワクワクしている自分がいるのは間違いない。

 

 

 

何もかもが三日坊主。

そんな人の元へ、届け。